211: 2014/02/26(水) 00:19:04 ID:kX.hLXt20

【けいおん】澪「二人の探偵」【前編】
【けいおん】澪「二人の探偵」【中編】

私は暗い部屋の中にいた。
外から差し込む薄明かりのおかげで、今座っている場所が探偵事務所だということがわかった。いつもくつろいでいる場所でも、夜になるとまったく異なった雰囲気だ。一人、照明もない事務所に長い間座っていると、どこか虚しい気持ちになってしまう。

澪「はあ……」

癖のため息が出てしまった。ソファもデスクも薄っぺらいファイルもノートパソコンも無言を貫いている。寂しい空間だ。
その時、ガチャという音が鳴った。事務所のドアが開いていた。入り口に立っている人を見て私は反射的に立ち上がった。

澪「あ……あ……」
映画「けいおん!」【TBSオンデマンド】

212: 2014/02/26(水) 00:20:03 ID:kX.hLXt20
現れたのは『明の湯』で見たあの髪の長い幽霊だった。
体が凍りついたように動かなくなった。叫び声も出せない。なんとか数歩だけ後ずさりした。

「うううう……」

低い呻き声を発しながら一歩一歩私の方へと近づいてくる。私はついにへたり込んでしまった。もうだめだ。
幽霊の手がゆっくりと私の顔に触れた。その瞬間、目の前が真っ暗になった……。


澪「はっ!?」

唯「わっ! 起きた!」

澪「え?」

辺りを見渡すと、そこは旅館の部屋だった。四人が心配そうに私の顔を見つめていた。

澪「……朝?」

213: 2014/02/26(水) 00:21:25 ID:kX.hLXt20
律「だいじょうぶか、澪?」

紬「ずいぶんうなされていたわ……」

澪「夢か……」

唯「どんな夢だったの?」

澪「昨日温泉で見た幽霊が事務所にやって来た夢……」

梓「澪さんの頭にもしっかりと焼き付いていますね……」

なんてことだ。遊びのつもりで話した推論の話が実際に影響するだなんて。
これからもあの幽霊の影に付き纏われるかと思うとぞっとした。

唯「だいじょうぶだよ! 朝ご飯を食べれば元気になるよ!」

律「それもそうだな」

214: 2014/02/26(水) 00:24:00 ID:kX.hLXt20
唯の言う通りだ。朝ご飯を食べて気持ちを入れ替えよう。
布団をたたんだ後、服を着替えて部屋を出た。それから、隣の部屋で宿泊している『恩那組』の三人がいる部屋へ向かった。ドアをノックすると、部屋から晶が出てきた。

澪「おはよう」

晶「ああ……おはよう」

手で口を覆いながら晶があくびをした。昨日はあまり眠れなかったのかな?

唯「朝ご飯一緒に食べようよ!」

晶「ああ。二人も呼んでくるよ。ちょっと待ってて」

そう言ってから晶は一度部屋の中に戻った。
廊下の向こうからいい匂いが漂ってくる。温かい味噌汁を飲んでほっとしたい。

215: 2014/02/26(水) 00:25:18 ID:kX.hLXt20
ガチャ

幸「おはよう」

菖「お待たせー! じゃあ、大広間に行こっか」

八人で大広間に向かう。
昨日までの私だったら想像もつかなかった出来事だ。少しうれしい。今日も一日が楽しみだ。


大広間に着くと、曽我部さんが一人で食事しているのが見えた。目が合うと、曽我部さんが笑顔で手招きしてくれた。

恵「おはようございます」

澪「おはようございます、曽我部さん」

216: 2014/02/26(水) 00:26:41 ID:kX.hLXt20
恵「この方たちは……?」

澪「えっと……。こっちの二人が助手の平沢唯と琴吹紬です。あとの二人は友達で、そこにいる三人はこの旅行で知り合いました」

晶「どうも」

菖「私たちも朝ご飯一緒にいいですか?」

恵「もちろん。昨日の温泉で一緒でしたよね」

晶「そうです。ありがとうございます」

218: 2014/02/27(木) 01:19:55 ID:S/wwgYyI0
曽我部さんを加えての朝食になった。これで昨日の幽霊騒動の人が全員揃った。
隣から漂ってくる赤だし味噌汁の匂いが心地良い。今日は目玉焼きまであった。
すると、女中さんが向こうからやってきた。

「何号室にお泊りですか?」

律「六号室と七号室です」

「ありがとうございます。朝食の用意まで少々お待ちください」

女中さんが大広間から出て行くと、曽我部さんは少しだけ声を潜めて私たちを見渡した。

219: 2014/02/27(木) 01:21:46 ID:S/wwgYyI0
恵「昨日のことなんだけど……」

紬「何かわかったことが……?」

ムギがそう訊ねると、曽我部さんは重々しく頷いた。みんなの顔に不安そうな影が走った。私も同じような顔をしているはずだ。怖い話は苦手だけど、私も昨日の騒動に関わった以上聞かないといけない。

恵「昨日、私たちがいたのは『明の湯』。インターネットで調べると、昨日私が言った怪談話がある温泉というのがどうもあの温泉らしいの……」

唯律「ええっ!?」

菖「そ、それで……怪談話というのは……?」

曽我部さんは一度咳払いをして、語り始めた。

220: 2014/02/27(木) 01:27:56 ID:S/wwgYyI0


昔、ある男女が村に暮らしていた。二人は仲睦まじく、互いに愛し合っていた。
ところが時が過ぎると、男は酒に溺れるようになった。仕事を放棄し、賭博や女に手を出して荒れ狂ってしまった。女は家を支えるためにとても貧しい生活を強いられ、その心労でかつての美貌は失われてしまった。僅かな銭を稼げども、すぐに男に奪われて酒に消えてしまった。
ある日、女が仕事で重荷を運んでいると、別の女を連れた男とすれ違った。女が頭巾を被って前屈みになっていたためか、男は女に気づかなかった。汚らわしい笑みを浮かべながら遊びふらつく男を見た時、女の中で何かが切れてしまった。
全てを呪い、怨念に取り憑かれた女は村から姿を消してしまった。男はかつて愛していた女が失踪したと聞くと、笑い飛ばして再び遊びにでかけた。
数日後、女が氏体で見つかった。
血の湯に身浸かり、左手首を切り落としていた。酔っ払ったまま連れて来られた男は血で明るく染まった湯と女の氏体を見ると、顔を真っ青にして正気を失ってしまい、そのまま狂人になってしまった。
そうした怪談話がその温泉にあるとされる……。

221: 2014/02/27(木) 01:28:57 ID:S/wwgYyI0


恵「……といった話だそうよ。あくまで語り継がれてきた話であって、本当にあった出来事なのかどうかは誰も知らないみたい」

曽我部さんは短く息をはいてからお茶を飲んだ。
本当かどうか誰も知らない? じ、じゃあ昨日私と曽我部さんが見たのは一体……。
とにかく本当に怖い話だ。晶まで少し怖がっているようにも見える。朝から気が滅入る話を聞いてしまった。気を紛らわせる意味でも、早く朝ご飯来ないかな……。

澪「……ん?」

『ティータイム』のメンバー……つまり、唯とムギと律と梓がじっと私の顔を見つめていた。何かあったのかな……。
今はそれよりもお腹が空いて仕方がない。

225: 2014/02/28(金) 01:40:52 ID:ZnaOp9Fs0


朝食が終わり、それぞれ部屋に戻って準備を始めた。
あと五分で『恩那組』のみんなと楽器店に行く時間だ。

澪「えーっと、財布以外に何か持って行った方がいいかな……」

紬「ねえ、澪ちゃん」

澪「なに、ムギ?」

振り返ると、唯とムギに両手を握り締められた。二人の目がきらきらと輝いている。

唯「すごいよ澪ちゃん!」

226: 2014/02/28(金) 01:41:48 ID:ZnaOp9Fs0
紬「完璧だったわ!」

澪「えっ、えっ?」

わけがわからない。二人が何にここまで興奮しているのかがわからない。
律と梓も笑いながら私たちを見ている。

律「澪の推論……いや、『推理』は曽我部さんの話と同じだったな!」

梓「あそこまで一致するとは思ってませんでした!」

なるほど、わかった。みんなが興奮しているのはそういうことだったのか。
しかし、私は反論しなければならない。あらぬ誤解をされては困る。

227: 2014/02/28(金) 01:44:04 ID:ZnaOp9Fs0
澪「私の推論は『たまたま』曽我部さんの話と同じようなものだったんだ。何も私が一から十まで解いていったわけじゃない」

律「そうか? 動機まで当てるなんて大したもんだぞ」

澪「いや、それはみんなの言った話を寄せ集めただけで……本当に偶然なんだ」

なぜか、このまま私が反論を続けてもあまり意味がないように思えてきた。何を言ってもいいように解釈されてしまう。水掛け論だ。
あの推論との一致は本当に偶然だった。うれしくないわけじゃないけど、今は困惑する気持ちの方が上だ。

澪「よし、行こう」

このままだとキリがないと思い、立ち上がって話の流れを止めた。
部屋を出ると、ちょうど晶たちも部屋から出てきたところだった。菖がにこりと笑った。

菖「揃ったね~。じゃ、めざせ楽器店!」

228: 2014/02/28(金) 01:48:07 ID:ZnaOp9Fs0


楽器店は歩いて少し下ったところにあった。こんなところにもあるものなのかと妙に感心した。
中に入ると、いつものように感嘆の声が漏れてしまった。

澪唯「わあ……」

ずらりと楽器がならんでいる! この光景はいつどこで見ても新鮮な心地だ。
音楽を始めた身としてはわくわくする気分にもなれる。

唯「わああ……っ! ギターがいっぱいだよー!」

晶「そういえばお前はギターだったっけか」

230: 2014/03/01(土) 01:55:44 ID:o10UFZ020
唯「うん! 梓ちゃんもだよ!」

晶「一度、『ティータイム』の演奏もどんなものなのか聞いてみたいな」

澪「い、いや……プロを目指すバンドからすれば聞き苦しいと思うけど……」

菖「まあまあ! まだプロになったわけじゃないから!」

紬「じゃあ今度、演奏したものを送ろうよ!」

唯「おおっ!? 本格的だね」

幸「みんながどんな演奏なのか楽しみだね」

231: 2014/03/01(土) 01:56:34 ID:o10UFZ020
菖「うんうん」

横を見ると、ギターの弦もずらりと並んでいる。何がどう違うのかは私もあまりわからない。
晶が腕を組んで弦を眺めていた。

晶「もうちょっとでギターのメンテナンスしないとな……」

唯「え?」

晶「ん? ギターのメンテナンスだよ。してるだろ?」

唯「え……ギターのメンテナンス……?」

晶梓「え?」

232: 2014/03/01(土) 01:57:18 ID:o10UFZ020
唯「メンテナンスって何するの?」

晶「そりゃお前……弦を張り替えたりとかだな」

唯「え、弦って交換するものなの?」

晶「なにぃーっ!? お前、弦張り替えてないのかっ!?」

唯「う、うん……」

梓「そうだったんですかっ!?」

唯「だって知らなかったんだもん……」

233: 2014/03/01(土) 01:58:32 ID:o10UFZ020
晶「まったくお前ってやつは……。私と同じギターなんだったっけ? いいギターなんだから大切にしろよ!」

唯「してるもん! 服を着せてあげたり、添い寝してあげたり!」

晶「た、大切にするベクトルが違う……」

幸「晶の負けだね」

晶「はあ……」

怒りを通り越して、呆れ果てた晶は力が抜けてしまったようだった。
たしかに、唯はギー太を愛している。演奏技術は劣るかもしれないけど、愛情の深さなら誰よりもすごいのかもしれない。

ベースのコーナーに行くと、レフティモデルのベースが置いてあった。左利きの私にとっては感動的だ。

236: 2014/03/03(月) 00:50:47 ID:ahoHApm.0
幸「もしかして左利きなの?」

澪「ああ、うん。右利きのものと比べてあまり置いてないから珍しいなって」

幸「一人だけ左利きだと、ステージで映えるだろうからかっこいいね」

澪「そ、そうかな……」

目立つのはいやだ……。文字を書いているだけでも「左利きなんだね」と言われてきたので、私にとってはつらい世の中だ。

澪「幸の方がかっこいいよ。背が高くて……」

話しながら幸の方を見ると、なぜかどんどん猫背になっていた。
もしかして……

237: 2014/03/03(月) 00:52:40 ID:ahoHApm.0
澪「……背が高いの気にしてる?」

幸「ちょっとね。今のは冗談だよ」

そんなに気にすることかな。
いや、その人にはその人の事情がある。私が勝手にあれこれ言っても仕方がない。
でも、幸の演奏は偽りなくかっこよかった。

そんな調子で楽器を見ながらみんなで話していると、二時間近く時間が経っていた。
一旦、旅館に戻って昼食を済ませた後に五番目の温泉である『浄の湯』に入ることにした。

238: 2014/03/03(月) 00:53:41 ID:ahoHApm.0
『浄の湯』

目に見えるのは真っ白なにごり湯だった。あの赤いお湯じゃない!
それだけでも安らぐ気持ちだ。
今日は三日目。温泉に浸かるのも今日が最後だ。時間が早く過ぎているような気がする。
ふと、ずっとこのままがいいと思ってしまった。

唯「ずっとこのまま温泉にいたいね~……」

澪「帰ったらまた仕事だぞ。私たちももっと宣伝していかないといけないからな」

唯「まあまあ。温泉に浸かっている間くらいは仕事のことは忘れようよ」

239: 2014/03/03(月) 00:56:38 ID:ahoHApm.0
澪「…………」

まあ……たしかにそうだ。
私は肩まで浸かってから少し上を向いた。

律「あ、そういえば澪の名推理の話はしてたっけ?」

菖「えっ、なになに!?」

律「澪の出した推論が、曽我部さんの話してくれた怪談話とほとんど一致してたんだ!」

澪「!!」

菖「それってすごくない!?」

律「だろ?」

おのれ律め……人が油断している時にまたその話をするとは……。
早くも温泉から逃げ出したくなったけど、三人の好奇心の視線からは逃れられない。

241: 2014/03/04(火) 02:31:20 ID:POwTPPn60
幸「どんな推論だったの?」

紬「まず、みんなでわかっていることを言って、それから一つずつ話し合ったの。時刻とか、場所とか……」

梓「そして、最後に澪さんが結論を出してくれたんです。結論はたしか、『命を投げ打ってまでして怨んでいる人に強くて恐ろしい印象を焼き付けたかったから』ですね」

唯「あの赤い温泉を見ただけでそこまで言い当てたんだよ!」

菖幸「おおっ」

また話が一人歩きしていきそうだ。ここらで食い止めないといけない。

澪「いやだから……あれは偶然当たってただけだよ」

242: 2014/03/04(火) 02:32:17 ID:POwTPPn60
晶「その推論が『偶然』のものだったとしてもさ、せっかく当たったんだからそれはそれで素直によろこんでもいいんじゃないか」

澪「…………」

まあ、当てることができたことくらいはよろこんでいいかもしれない。晶の言う通りだ。
それに、晶の一言で話が収まった。これでまた安心できる……。

菖「あっ、そうだ! みんなは明日で帰るんでしょ?」

唯「うん」

菖「じゃあさ、せっかくだから日が沈んだら肝試ししない? 昨日の幽霊つながりでさ!」

律「おもしろそうだな!」

紬「やろうやろう~♪」

……まだ安心できそうにはないか。

243: 2014/03/04(火) 02:35:46 ID:POwTPPn60


私が念じたにも関わらず太陽は沈んでしまい、街灯のない道は真っ暗になってしまった。肝試しにはふさわしい暗さだ。
私たちは旅館から離れた場所にあるトンネルの前にたむろしていた。
今回の肝試しは二人組で行動する。この薄暗くて長いトンネルの向こうには海があるらしい。その海沿いの道に神社があって、そこにお賽銭をしてから別のルートで旅館に帰って終了……だそうだ。幸いにも、驚かせる人はいないので、ただ“夜の怖い道を歩くだけ”だ。

ペア決めはくじ引きで行われた。
ムギと幸、唯と菖、律と晶、私と梓……の組み合わせと順番になった。なぜか最後の組になってしまった。くじ引きの巡り合わせが悪いのは小学校の時からだと思う。
五分間隔で次のペアが出発する。不思議なもので、あっという間に自分たちの順番がやって来た。「怖がって腰抜かしたりするなよ?」と笑いながら出発した律の顔が記憶に新しい。

梓「じゃあ行きましょうか」

澪「う、うん……」

静かに私たち最後のペアがスタートした。
トンネルに入ると、すぐさま静寂が訪れた。外と比べてまったく音がない。私と梓の歩く音だけが聞こえる。

244: 2014/03/04(火) 02:38:19 ID:POwTPPn60
澪「…………」

梓「澪さんはこういうの苦手なんですか?」

澪「え、ああ……怖いのは苦手かな……」

梓「そうですか? 私が依頼したあの事件の方がよっぽど怖かったと思いますけど……」

澪「ああ……」

今となっては懐かしい事件だ。梓を付きまとうストーカーを直接捕まえようと奮闘したことがあった。
ただあれは……

澪「あれは仕事だったから……。ふだんの私は怖がりだよ」

246: 2014/03/05(水) 01:31:32 ID:WRg1TQgI0
梓「うーん……たしかに怖がりかもしれません。けど、いざという時の澪さんは本当に頼りになりますよ」

澪「そうかな……」

梓「そうですよ。あんな武器を持った男の人に立ち向かうなんて、ふつう怖くてできませんよ」

澪「…………」

探偵になってからは自分の意外な姿に驚かされることがあった。
梓の言ってくれたストーカー事件の時もそうだし、誘拐犯から人質を救うために現場に駆けつけたり、音楽を始めたりもした。探偵を始める前の私には想像できなかったことばかりに違いない。
そんな怖がりな私がここまでがんばってこれたのは……

澪「それもみんなのおかげ。私一人だけじゃないからがんばれるんだよ」

247: 2014/03/05(水) 01:32:12 ID:WRg1TQgI0
梓「……よかったです。澪さんの志が変わってなくて」

梓は笑顔でそう言ってくれた。

梓「ずっとそのままでいてください」

澪「努力するよ」

ついにトンネルを抜けた。
外に出て少し歩くと、波の音が聞こえてきた。海が近いらしい。少し風が強い。
しばらく進むと、前方左手に鳥居が見えた。あそこか……。急に足が重くなった。
鳥居まで来ると、今度は長い階段が見えた。風を受けて木がざわざわと騒いでいる。

248: 2014/03/05(水) 01:33:39 ID:WRg1TQgI0
梓「のぼりましょうか」

一つ年下の梓に手を引かれた。我ながら情けない。怖さのあまりついつい手に力が入ってしまう。
恐怖から意識をそらすために階数をかぞえていたけど途中でわからなくなってしまった。何も手がつかないくらい集中できない。

梓「着きましたね……」

澪「あ、あとはお賽銭か……」

あと少しで終わる……。
梓も緊張しているみたいだ。梓と二人でお賽銭箱に近づいたその時、

「わっ!!」

249: 2014/03/05(水) 01:34:13 ID:WRg1TQgI0
梓「きゃっ!」

澪「うわっ!」

突然の大声に心臓が止まってしまうかと思った。握っていた梓の手を離してしまい、そのまま尻もちをついた。恐る恐る顔を上げると、律が立っていた。晶までいる。

梓「ど、どうして律さんと晶さんがここに!?」

律「いやーせっかくの驚かせるチャンスだからな! もったいないから晶と待ち伏せしてたんだ!」

梓「ズルイですよもう……」

252: 2014/03/06(木) 01:09:10 ID:gYEvnrnI0
晶「私が旅館に戻ろうって言っても聞かなくてさ。『澪を驚かせるんだ!』って」

梓「まったく……」

最後にしてやられてしまった。律の性格はわかっていたはずなのに……。
晶の手を借りてやっと立ち上がった。
お賽銭を済ませ、鈴を鳴らしてから拝礼した。

晶「よし、早いとこ旅館に帰ろう」

梓「はい」

早く晩ご飯を食べて温泉に入りたい……。
それにしても、さっきから木がざわついている気がする。先程までとはまた違った不気味な気配だ。階段の方を見ると、人影が見えた。

253: 2014/03/06(木) 01:10:41 ID:gYEvnrnI0
澪「あ」

暗いので姿がはっきりとしない。ただ、シルエットを見ただけでわかる。あれは髪の長い女性だ。
今もこちらに迫っている。木のざわめきの音で足音が聞こえなかった。

律晶梓「あ」

三人もその存在を認識したようだった。既に私の体は恐怖に支配されて動けなくなってしまった。心臓がばくばくと動悸している。
間違いない! あの幽霊だ!

律「あ、あ……」

律は言葉が出てこないようだった。
そして幽霊は私たちの目の前で立ち止まった。膝が震えて仕方ない。幽霊がゆっくりと両腕を律に伸ばした……

「見ぃ~つ~け~た~……」

254: 2014/03/06(木) 01:11:43 ID:gYEvnrnI0
律「ぎゃあああああああああ!!??」

梓「きゃあああああ!!!!」

晶「うわああああああっ!!!!」

私はまたしても腰を抜かしてしまった。今朝みた夢と同じだ! 私たちは幽霊に呪い殺されてしまう!
もうだめだと思ったその時、

「やっと会えたわね、あなたたち」

律「…………え?」

「もう旅行中では会えないんじゃないかって思ったわ」

な、何がなんだかわからない……。幽霊じゃない……?

255: 2014/03/06(木) 01:13:13 ID:gYEvnrnI0
律「だ、誰だ……?」

「あら? 気づいてなかったの? わたしよ、わたし!」

幽霊……いや、その人は前髪を揃えた。その瞬間、私は勢いよく立ち上がって指差した。

澪「ああーっ!?」

さわ子「そうよ! 山中さわ子よ!」

幽霊の正体はなんと、事務所のあるビルの管理人、さわ子さんだった。
全身から力が抜けていくのがわかった。本当の幽霊じゃなくてよかった……。

梓「それよりも、どうしてさわ子さんがここに……?」

さわ子「あんたたちが演芸会で優勝して温泉旅行が当たったでしょ? 羨ましいから私も行きたいなーって思って!」

256: 2014/03/06(木) 01:14:46 ID:gYEvnrnI0
律「どうして私たちに一言くれないんだよ!」

さわ子「いきなり登場して驚かせようって思ってね~!」

梓「まあそれは成功したみたいですけど……」

律「じゃあ、どうしてここの神社に?」

さわ子「ここの神社は成功の運気を高めるそうなの。宿で聞いたから時間は遅いけど行こうかなって思って!」

澪「はあ……」

晶「この人はお前たちの知り合いなんだな?」

257: 2014/03/06(木) 01:15:27 ID:gYEvnrnI0
梓「そうです……」

晶「ったく、お前たちといると本当にバタバタするな……」

晶が深いため息をつきながら言った。
それには私も心底同意する……。私たちはいつも全力疾走しているみたいだ。

律「まあまあ、楽しかったからいいだろ?」

晶「お前が言うなよ」

澪「帰ろうか……」

梓「はい……」

260: 2014/03/07(金) 01:50:32 ID:wepuS7gk0



澪「ただいまー……」

旅行に到着すると、先に出発した四人が出迎えてくれた。

唯「おかえり、何かあったの?」

紬「遅いから心配したわ……本当に幽霊が出たんじゃないかって」

みんなに迷惑をかけてしまった。少し申し訳ない気持ちになる。
いや、それよりも言わないといけないことがある。

澪「……実は幽霊の正体がわかったんだ」

唯紬「ええっ!?」

261: 2014/03/07(金) 01:51:41 ID:wepuS7gk0
菖「正体って!?」

唯とムギは私に詰め寄らんばかりに近づいてきた。明らかに期待の眼差しを含んでいる。私には苦笑いしかできなかった。

澪「幽霊の正体は……」

手で合図を出すと、さわ子さんが登場してきた。してやったりの笑顔をしている。

さわ子「やっほー!」

唯「さっさささ……」

紬「さわ子さん!?」

菖幸「……誰?」

澪「私たちの事務所のあるビルの管理人……」

菖「……へえ~。澪ちゃんたちは知り合いが多いんだねえ……」

262: 2014/03/07(金) 01:53:08 ID:wepuS7gk0
少しだけ皮肉が込められているような気がするけど、そこは否定しないでおこう。
今日も一日が長かったような気がする。ただ、これで幽霊の悪夢からは解放されたはずだ。


私たち一行は大広間に向かった。ここでの夕食も最後と思うと、名残惜しいものがある。
中に入ると、朝と同じように曽我部さんがいた。この人もあの騒動に関わっていたんだから一応報告しておかないといけないな……。

澪「曽我部さん、一緒にいいですか?」

263: 2014/03/07(金) 01:54:40 ID:wepuS7gk0
恵「ええ、もちろん。みんなで一緒に食べましょう!」

紬「ありがとうございます!」

曽我部さんの正面に座った。なんだか緊張してくる。
幽霊に怖がっていたとはいえ、あの有名探偵の曽我部さんだ。私なんかがこんなに気軽に接していいものなのかと今でも思う。
でも、解決したからにはきちんと伝えないといけない。一人の探偵として、思い切っていこう。

澪「あの、曽我部さん」

恵「はい?」

澪「あの騒動のこと……幽霊の正体がわかりました」

265: 2014/03/08(土) 01:48:53 ID:j1BfnJCM0
恵「えっ」

曽我部さんの笑みが強張った。無理もない。あんなに不気味な出来事だったんだから。

恵「幽霊の正体……?」

澪「はい。単刀直入に言うと、幽霊は存在しませんでした」

恵「そんな……じゃあ一体あれは……」

澪「あれは私たちの知り合いの人でした。さっき、私たちが神社で肝試しをしていると、その人と偶然遭遇して判明しました」

さわ子さんが手を振ってきたけど、一度視線を送るだけに留めておいた。

266: 2014/03/08(土) 01:49:55 ID:j1BfnJCM0
恵「そう……じゃあ、本当に幽霊はいないのね……?」

澪「はい、いません」

私がそう言うと、曽我部さんは胸元に手を当てて安堵の表情を浮かべた。

恵「よかった……。いや、幽霊のことを調べて、自分が恐ろしい温泉に入ってたのかと思うと怖くなって……」

澪「あの話は迷信でしょうね……」

噂が誇張されていくのはよくあることだ。有名な昔話というのも、元にあった話が大きくなっていっただけなのかもしれない。
伝えたかったことは曽我部さんに伝えた。これで私も安心できる。

267: 2014/03/08(土) 01:51:03 ID:j1BfnJCM0
恵「わざわざ報告ありがとう。これで私も安心して眠れそうだわ」

澪「私もです」

思わず苦笑いが出た。もうあんなに怖い夢はごめんだ。あんな呪いにはもうかかりたくない。

唯「これで一件落着だね!」

澪「ああ」

律「いやーまさかさわちゃんだったとはなあ……予想外というか」

268: 2014/03/08(土) 01:52:45 ID:j1BfnJCM0
梓「ホントですよ」

「お料理お待たせしました~!」

女中さんが夕食を持ってきてくれた。晩ご飯はすき焼きだ!

唯「おいしそう~!」

紬「いい匂い~!」

澪「それじゃあ、みんな」

手を合わせて、

澪「いただきます!」

「いただきまーす!!!!!!!!!」

271: 2014/03/09(日) 00:37:34 ID:c2d.xYCE0


少し調子に乗って食べ過ぎてしまった。また体重が増えてしまう……。
いやいや、旅行が終わってからがんばって仕事をして動けばいいんだ。そうすれば無理なくダイエットできる……多分。
大広間の向こうを見ると、ステージがあった。あんなところで何があるのかな。

唯「あれカラオケかな?」

律「おっ、本当だ」

菖「使っていいか訊いてみよっか」

すごい行動力の早さだ。菖はあっという間に通りすがりの女中さんに声をかけて質問した。

272: 2014/03/09(日) 00:38:52 ID:c2d.xYCE0
「はい、21時までならご利用いただけますよ」

菖「ありがとうございます。じゃあ、歌ってみようかなー!」

私たちはステージの近くの席に移動した。
さわ子さんは酔っ払って疲れたと言って先に部屋に戻って行った。律が「年だな」と言いかけたのを制しておいた。幽霊より怖いものは見たくない。

唯「なに歌おうかな~♪」

菖「おおっ! これにしよっかな~」

BGMが鳴り始め、カラオケ大会が始まった。みんなが歌って盛り上がりだした。
開始からしばらくの間、私はコップを片手にみんなの歌を聞いていた。幽霊騒動の後だからか、みんなの笑顔がはじけていた。やっぱりこういう時の方が落ち着いていられる。

273: 2014/03/09(日) 00:39:50 ID:c2d.xYCE0
恵「とっても楽しい人たちと一緒なのね」

澪「はい。私も頼りにしています」

私がそう言うと、曽我部さんはにっこりと頷いてくれた。

律「おい、澪も聞いてばっかいないで何か歌えよ」

澪「え?」

律がマイクを私に向けた。今のところ曽我部さんも含め、私以外の全員が歌っている。
目立ってしまうのがイヤだったので、小さくなっていたつもりだったけど、ついに見つかってしまった。なかなかマイクの方に目を向けられないでいた。
すると、唯が私の背中を押した。

274: 2014/03/09(日) 00:40:23 ID:c2d.xYCE0
唯「はい、立って立って~!」

澪「ちょっ」

律「はい、マイク持って」

反論する間もなくマイクを握らされてしまい、そのままステージに上がってしまった。恥ずかしさと緊張とで体温が上昇するのがわかる。
みんなが私を見ている。唯は今までギターを弾きながらこんな舞台で歌っていたのか……と、つい感心してしまう。
さて、もう逃げられなくなってしまった。

澪「あ、えーっと……」

275: 2014/03/09(日) 00:41:09 ID:c2d.xYCE0
仕方ない。どの曲にしようかな。みんなが知っているような曲を……。
となると、小学校で歌うような合唱曲かな。
……決めた。私が選曲したのは『翼をください』。
BGMが始まってしまった。深呼吸する暇もない。
それに、この場所に立つと喉が渇いてしょうがない。マイクを握る手が少し震える。私は勇気を振り絞って歌い始めた。

いざ歌い出すと、歌詞を追うので精一杯で周りの目は気にならなかった。気になることがあるとすれば、耳が燃えるように熱いことくらいだ。
できるだけ一生懸命に歌うようにした。
間奏に入ったので、みんなの顔を見る余裕ができた。みんなは笑って見ていてくれた。
私も少し微笑んでいると、曽我部さんに目が留まった。口をぽかんと開けてぼうっとしている。頬も赤い。胸の辺りで手を組んで私を見つめている。何かあったのかな……?
モニターに次の歌詞が表示されたので、私はまた集中し直した。

278: 2014/03/10(月) 01:19:37 ID:2yMCQQ2M0
『天の湯』

ここが旅行最後の温泉。
綺麗な夜空を一望できる壮大な露天風呂だ。都会と違って、大きい星から小さく星まで幾多の星がきらきらと輝いている。

律「はあー……これで最後か~……」

梓「早いですね」

真っ暗な空に星がきらめいている。最後の温泉にふさわしい壮大な景色と解放感だ。遠くからはかすかに波の音も聞こえ、目を瞑っても安らぎを感じる。

紬「澪ちゃんの歌上手だったね!」

唯「うん! これからは澪ちゃんにもボーカルやってもらわないと!」

澪「そ、それだけはイヤだ!」

279: 2014/03/10(月) 01:21:10 ID:2yMCQQ2M0
律「どうしてだよ~?」

梓「もったいないですよ!」

菖「私、澪ちゃんの歌もっと聞きたいよ!」

幸「私も聞きたいな。ボーカルが二人だと、幅が広がるよ」

澪「うっ……」

カラオケ大会が終わってから、ずっとみんなからやけにべた褒めされている。
恥ずかしいので歌いたくないという気持ちは今でも変わらない。
ただ、そういった変化を求める気持ちがまったくないわけではなかった。

澪「まあ、演奏を録音する時にでも考えるよ……」

菖「絶対に送ってね!」

幸「楽しみにしてるから」

280: 2014/03/10(月) 01:22:19 ID:2yMCQQ2M0
なんだかこの旅行の最中に大変なことになってしまった。帰ってからもいろいろと仕事以外にもやることが多くなりそうだ。気を引き締めないといけない。

晶「なあ……ちょっといいか?」

澪「ん?」

なぜか、晶が真剣な表情をしていた。私は背筋を伸ばしてから座り直した。

晶「探偵って依頼来なかったら厳しいだろ?」

澪「う、うん……。まあ、私たちの事務所がまさにそうだから……」

晶「やりがいはあるのか?」

澪「うん、あるよ」

晶「…………」

281: 2014/03/10(月) 01:23:45 ID:2yMCQQ2M0
晶「…………」

これは自信を持って言える。やりがいがなければ今、こんな風に楽しく旅行はできなかったと思う。
これからもみんなでがんばっていくつもりだ。

澪「もし事件が解決できると、私もうれしい。そうやってできたつながりの一つが『ティータイム』だから」

晶「……私たちもオファーがなかったら無職となんら変わらない。それは今でも不安だ」

澪「うん……」

晶「けど、同じようにがんばってるお前たちを見てると元気が出てきたよ」

282: 2014/03/10(月) 01:27:01 ID:2yMCQQ2M0
澪「そっか、よかったよ……」

私たちもプロを目指す恩那組の三人の話を聞いて良い刺激を受けた。懸命に前を向いて生きるその姿は尊敬できる。私たちも負けていられない。

晶「だからがんばろうな。互いに」

澪「うん、お互いに」

晶が拳を突き出してきた。私は笑顔でそれに答え、拳を突き合わせると、晶がにっと笑った。
この旅行は一生の思い出になるに違いない。
私はまた夜空を眺めて一人静かに微笑んだ。

286: 2014/03/12(水) 01:09:40 ID:3uDV1bVY0



菖「じゃあ、明日の朝ご飯一緒に食べようね~!」

紬「うん!」

唯「じゃあおやすみ~」

梓「おやすみなさい」

幸「おやすみ」

晶「また明日な」

澪律「おやすみ」

あとは寝て、朝ご飯を食べて帰るだけだ。そう思うと、やはり寂しい気持ちになった。

287: 2014/03/12(水) 01:11:10 ID:3uDV1bVY0
唯「旅行、明日で終わりだね」

律「明後日からはまた仕事だ」

梓「なんだか……高校の時みたいでした」

紬「友達までできたりしてね!」

澪「そうだな……」

出発前はどうなることかと思っていた旅行だったけど、今となっては夢のような時間だった。
それほどまでに楽しい時間だったと思う。

澪「ん……」

歌を歌ったせいか、眠くなってきた。いや、肝試しの心労のせいかもしれない。さわ子さんには本当にまいった。瞼がとても重い……。
律が私に目をやってから手をぱんと合わせた。

288: 2014/03/12(水) 01:12:18 ID:3uDV1bVY0
律「よし、もう寝るか。明日の移動は長いからな」

紬「そうね」

唯「それじゃあ、おやすみ!」

梓「おやすみなさい」

律「おやすみ」

紬「おやすみ~」

澪「おやすみ」

明かりを消すと、部屋が真っ暗になった。次に明るくなった時には朝になっているはずだ。
布団に入り、これまでの楽しさを味わいながら目を瞑った。
早くも、隣から唯の寝息が聞こえてきた。唯は本当に子どもをみたいだなあ。そんなことを思っていると、私も意識が遠のいていくのがわかった。それに抗うことなく、私も眠りについた。

289: 2014/03/12(水) 01:52:23 ID:3uDV1bVY0



旅行四日目、最後の朝だ。
今日は夢を見ることもなく、気持ちよく目覚めを迎えた。カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。

紬「あ、澪ちゃんおはよう」

澪「おはよう、ムギ」

紬「みんな起こそっか」

澪「うん」

唯と律と梓はまだ寝ていた。昨日はけっこうはしゃいでたからなあ。
唯の寝顔は相変わらず子どもみたいだ。すやすやと眠る寝顔を見ていると、少し起こすのがためらわれた。けど、ここは心を鬼にして……

澪「もう朝だぞ、ほら起きて!」

290: 2014/03/12(水) 01:54:16 ID:3uDV1bVY0
紬「りっちゃんも梓ちゃんも起きて!」

律「んー……朝か……」

梓「あ、おはようございます……」

唯「まだ眠いよ~……」

澪「朝ご飯抜きになっても知らないぞ。はい、着替えて着替えて」

唯律「はーい……」

布団をたたむ際に、律が「立つ鳥跡を濁さず」とつぶやいていた。律の支度は随分と手際がよかった。律が言うには、早いのは警察学校の時にみっちり仕込まれたから、らしい。
まだ半分寝ぼけた唯にちゃんとした布団のたたみ方を指導していた。

291: 2014/03/12(水) 01:55:52 ID:3uDV1bVY0

それから服を着替え、隣の部屋に向かった。
ドアをノックすると、すぐに菖が出てきた。後ろには晶と幸もいた。

菖「おはよう!」

澪「おはよう。じゃあ行こうか」

唯「お腹空いた~……」

律「唯は食べてばっかだな……」

八人で大広間に着いた。今ではおなじみになった女中さんたちが行ったり来たりしている。朝から大変なことだ。
中を見渡しても、曽我部さんはいなかった。もう帰ったのかな?
まだ起きていないのかもしれない。いつ頃まで宿泊しているのか訊いておけばよかった。

293: 2014/03/13(木) 02:52:51 ID:ZAv79D6k0
「何号室にお泊りですか?」

澪「六号室と七号室です」

「ありがとうございます。準備まで少々お待ち下さい」

女中さんがその場を後にした。いい匂いが漂ってくるので、今日の朝ご飯も期待できる。

菖「朝ご飯食べたらすぐに帰るんだっけ?」

唯「うん、そうだよ」

菖「さびしくなるな~……ねえ?」

幸「もっとどこかに行ければよかったんだけど……」

晶「まあ、仕事もあるし仕方ないだろ」

そうだ。明日からはまた切り替えていかないといけない。今は旅行前よりやる気に満ち溢れている。これもみんなのおかげだ。

294: 2014/03/13(木) 02:54:05 ID:ZAv79D6k0
菖「そういえば、お土産は買ったの?」

梓「あっ、そういえば……」

紬「まだ買ってないわ」

菖「じゃあ、この旅館にもお土産屋さんあるから、このあと行こうよ!」

唯「何にしようかな~」

律「そうだなあ……」

私は何にしようかな……。すぐに頭の中で期待が膨らんでいく。
もしかしたら、この地域名物のお菓子とかあるかもしれない。どうせなら、旅行先ならではのものがほしい。
……ただ、『明の湯』関連のお土産は避けようと密かに決めた。

295: 2014/03/13(木) 02:57:18 ID:ZAv79D6k0
『お土産屋』

手続きを済ませた後、最後にお土産屋さんに立ち寄った。店内にはいろいろな商品があった。ムギが目を輝かせながらいろいろな商品に手を伸ばしている。あの勢いだと出費がすごいことになりそうだ……。

紬「すてきなものがたくさ~ん♪」

唯「おまんじゅうにしようかな~」

梓「あっ、お菓子もありますよ!」

澪「石鹸か……」

律「澪はこれなんかいいんじゃないか?」

澪「なんだよこれ……」

律が差し出してきたのは『根性』という文字のキーホルダーだった。
よくわからないけど、一応買っておくことにした。事務所の鍵にでも付けようかな。文字を見ただけで気持ちが変わるかもしれない。

296: 2014/03/13(木) 02:59:15 ID:ZAv79D6k0
菖「タオルとかもあるよ!」

幸「六種の洗顔だってさ。晶買ってみたら?」

晶「どれどれ……高いな……」

恩那組の三人は明日買うそうだ。今日はまた練習に打ち込むらしい。
その熱意とやる気を。この旅行中に私たちももらえることができた。あとはそれらをきちんと発揮しないといけない。


澪「ふう……けっこう買っちゃったな……」

旅館の外に出て、手荷物を確認した。
パパやママ、憂ちゃん、和や純の分も買うと、なかなかの量になってしまった。帰りに両手が塞がって疲れるのも旅行の醍醐味かもしれない。

澪「あっ、そういえばさわ子さんは?」

梓「あともうしばらく宿泊するそうです。よろしく言っといて、と」

律「さわちゃんもよくやるな……」

紬「たまにはさわ子さんにもゆっくりしてもらおうよ」

律「事務所でお茶飲んでる姿しか思い浮かばないけどな……」

297: 2014/03/13(木) 03:00:40 ID:ZAv79D6k0
唯「おまたせ~」

最後に会計を済ませた唯がやって来た。

澪「それじゃあ……帰ろうか」

唯「うん!」

振り返ると、晶と菖と幸が横一列に並んでいた。私たちもいつの間にか同じように並んでいた。
よく晴れた青空の下で、私たちは向かい合った。みんなにこにこと笑顔を浮かべている。

晶「それじゃあな。元気でやれよ!」

紬「うん。恩那組もプロを目指してがんばってね!」

菖「もちろん! プロになっても、みんなのことは忘れないよー!」

298: 2014/03/13(木) 03:02:33 ID:ZAv79D6k0
律「また遊ぼうな! 澪の事務所で待ってるから!」

幸「うん、絶対に遊びに行くよ!」

梓「私たちの演奏ビデオも送りますから!」

菖「楽しみにしてるからね!」

唯「またね~バイバーイ!」

澪「私たちも負けないようにがんばるよ! それじゃあ……」

手を振って、その場を後にしようとしたその時、

「待って!」

晶菖幸「?」

唯紬律梓「?」

大声で誰かに呼び止められた。部屋に忘れ物でもあったのかな……。内心ドキドキしながら声の出所の方を見ると、思わず面食らってしまった。

澪「えっ?」

299: 2014/03/13(木) 03:05:21 ID:ZAv79D6k0
大声を出して私たちを呼び止めたのはなんと曽我部さんだった。よっぽど大急ぎでこちらに向かってきたのか、肩で息をしている。私は曽我部さんの方へ歩み寄った。

澪「だ、だいじょうぶですか? 何かあったんですか?」

恵「さ、最後に挨拶しておきたくて……」

澪「……わざわざありがとうございます。私も曽我部さんに挨拶したかったので……」

恵「秋山さん……最後に一ついいかしら……?」

澪「はい?」

曽我部さんと目が合った。かなり真剣な表情だ。何か重大な話かもしれない。
私はぴんと背筋を伸ばして曽我部さんの口が開くのを待った。
すると、曽我部さんは顔を赤らめながら、後ろから何かを取り出した。 ……それは色紙だった。
そして、それとマジックとを両手で私に突き出して言った。

恵「サインください!」

澪「へ?」

300: 2014/03/13(木) 03:08:15 ID:ZAv79D6k0
呆気にとられる私に構わず、曽我部さんは勢いよく続けた。

恵「“めぐみへ、みおたんより”って書いてほしいの!」

澪「え」

一体どうして……あの聡明な探偵の曽我部さんが……?
私の頭の中は疑問符で埋め尽くされ、考えるのが困難になってしまった。
助けを求めるようにみんなの方を見ると、満面の笑みを浮かべていた。

律「ほら、サインしてあげろよ!」

唯「おめでとう、澪ちゃん!」

紬「憧れの曽我部さんのお願いよ!」

梓「ここは思い切りいってください!」

澪「ええーっ!!!!!」

私の大声が温泉中に広く響き渡ったのは言うまでもない。
この旅行は本当に思い出になった……。

301: 2014/03/13(木) 03:15:49 ID:ZAv79D6k0



『秋山探偵事務所』

澪「さてと……」

唯「お茶の時間だね!」

紬「は~い♪ 琴吹家自慢の紅茶よ~!」

律「おっ、サンキュームギ!」

梓「ありがとうございます」

旅行を終え、私たちは仕事に戻った。
ただ、気持ちを切り替えただけで依頼人が来るはずもなく、今のところ仕事はゼロだ。
今日は休日なので事務所に集合している。

302: 2014/03/13(木) 03:16:53 ID:ZAv79D6k0
澪「仕事来ないなあ……」

紬「またビラ配りしよう!」

唯「うん! 宣伝していくしかないよ!」

梓「時間があれば私も手伝います!」

澪「そうだな……地道にいくしかないな……」

恩那組のみんなもそうやってがんばっているんだ。ここで弱音を吐いても何の意味もない。
『あの後』、曽我部さんに事務所宣伝のコツも教えてもらった。
女性スタッフが多いことを宣伝すると、女性の人が依頼しやすくなるらしい。
私としてもそっちの方がやりやすいので、その方向で行こうとみんなで話し合った。

律「おっ、曽我部さんのブログ更新してるぞ」

唯「見せて見せてー!」

何だろう……この複雑な気持ちは。『あの一件』以来、曽我部さんを見る目が少し変わってしまったことは否定できない。
もちろん、今でも尊敬しているけど……。
五人で一つのノートパソコンを覗き込んだ。

303: 2014/03/13(木) 03:22:42 ID:ZAv79D6k0

『温泉旅行』

先日休みをいただいて、温泉旅行に行っていました。とても楽しかったです!
なんと、温泉が六つの種類も。それぞれ異なった効能があって大変興味深かったです。
その中で、『明の湯』という温泉には怖い怪談話があり、その話を聞いた夜は怖くてなかなか眠ることができませんでした。

今回、わたしは一人旅行をしていたのですが、宿泊した旅館でとても楽しい人たちと交流することができました。
プロバンドを目指す人、そしてわたしと同じ探偵の人も!
二人の探偵が温泉旅行の旅館で偶然出会うだなんて……何か事件でも起こりそうなシチュエーションですね。まるで小説みたいでした。
カラオケ大会があったりして、とても楽しかったです。
……実は、その探偵の方の歌声がとても綺麗で、思わずサインをお願いしてしまいました。
そのサインは私の宝物です。

……とまあ、本当にいろいろなことがあってとても楽しかったです。
温泉に浸かった後のリラックスした気持ちで今日も仕事を頑張りたいと思います!
みなさんの成功をわたしもお祈りしています。


澪「…………」

律「澪はよっぽど気に入られてるんだなあ……」

唯「澪ちゃん、大人気だね!」

304: 2014/03/13(木) 03:34:21 ID:ZAv79D6k0
紬「そのうち『澪ちゃんファンクラブ』とかできちゃうかも!」

澪「そんなの絶対に認めないからな!」

梓「けど、曽我部さんのあの勢いならやりかねないですね……」

澪「うっ……」

そんなのは絶対にイヤだ……。これ以上目立ちたくなんかない。
ましてやファンクラブなんて……考えただけでも気が遠くなる。

律「ところで、今日はどうするんだ? せっかく集まったわけだけど」

紬「あっ、忘れてた! 私、ビデオカメラ持ってきたの!」

唯「じゃあ演奏ビデオを撮って恩那組に送ろうよ!」

梓「いいですね、それ!」

律「よし、じゃあ近くのスタジオでやるか」

澪「ちょっと待って。そんな急に……」

律「いいじゃん! せっかくの休みの日なんだからさ!」

澪「……仕方ないなあ」

305: 2014/03/13(木) 03:38:26 ID:ZAv79D6k0
唯「それじゃあ、楽器を持ってしゅっぱーつ!」

律紬「おーっ!!」

梓「なんだか、いつも通りですね」

澪「やれやれ……」

梓と顔を見合わせて苦笑いした。
まったく……私たちはいつもバタバタしている。これは旅行中、晶にも指摘されたことだ。
ただ、それが私たちらしさだと思う。これからもずっとこんな調子になるかもしれない。
でも、みんなといればどんな困難も乗り越えられる。
唯が、ムギが、律が、梓がいつも私を支えてくれる。

コンコン

澪「え?」

不意にノックが鳴った。事務所に静けさが訪れ、みんなの視線が扉に集まった。
今日は休日だ。一体誰だろう……? もしかすると待望の依頼人かもしれない。
そうなればいくら今日が休日といっても、追い返すのはあまりにもったいない……。
少し躊躇していると、今度は私に視線が集まっていた。みんな笑っている。

306: 2014/03/13(木) 03:47:42 ID:ZAv79D6k0
紬「ほら、澪ちゃん!」

律「出番だぞ!」

梓「がんばってください、澪さん!」

唯「もしかしたら依頼人かもしれないよ!」

そうだ。私は困っている人を助けたいんだ。
なら、当たり前のことをしないといけない。一度頷いてから、扉の方へと歩いた。
そして、胸に手を当てた。

──みんながいるから、がんばれる。

意を決して、扉を開けた。
これは私でも恥ずかしがらずに堂々と言える。深呼吸して、思い切り言った。

澪「はい、秋山探偵事務所です!」


~完~

307: 2014/03/13(木) 03:56:01 ID:ZAv79D6k0
やっと完結。
澪誕、澪探、みおたんの流れがやりたかった。疲れたけど楽しかった。
読んでくれてありがとう。みんなのおかげでがんばれた。

308: 2014/03/13(木) 04:39:27 ID:56.K3TrU0
なんかもう、ほぼ毎日書き続けてしっかり完成させるとか脱帽ですわ、俺には到底無理だもん

今から少しずつ読んでいきます、完結お疲れ様でした!!

309: 2014/03/13(木) 14:01:04 ID:a5ZZ.fEE0
お疲れ様です。
長丁場をよく支えて完結させたことに感服します。
今回は旅行先で際立った事件は無かったけど、けいおんらしさが
出て読んでいて楽しかったです。
また次回作もお願いします。

引用: 澪「二人の探偵」