31: 2013/06/23(日) 21:31:40.24 ID:s0IIu3Wbo
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街の臭いを含んだ独特の――私にとっては馴染み深い趣の――潮風が頬を撫でる。
陽光を浴びて、のた打つ様に光を散り散りに乱れ飛ばす海面は巨大な魚の腹にも似ていた。

いつもの場所

いつもの時間

だが、この空間で私だけがいつもと違う。


――宮永照
咲-Saki- 25巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)
32: 2013/06/23(日) 21:32:32.39 ID:s0IIu3Wbo
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その名を思い浮かべたのは数え切れないが、闘志と共に浮かべるのは久方ぶりだ。思えば、私の雀士としての本当の人生は奴と交錯した時、始まったのかもしれない。
絶対王者、インハイの魔物、牌に愛された子――奴を形容する全ての言葉は、全てが大仰だがその全てが正鵠を射ているとは言えなかった。

初めて同卓した時、越えられぬ壁を私は視た。

次に同卓した時、抑えきれぬ絶望を私は感じた。

どうすれば奴に勝てるのかを考えた。考えた。考え抜いた。
幾度も強者と打ち合い、幾度となく敗北の辛酸を舐めた。
時として、壁の高さに膝を屈しそうになったこともある。

だが、それでも、今――

33: 2013/06/23(日) 21:33:05.23 ID:s0IIu3Wbo
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私はここにいる。

勝てる確信など無い。宮永照はおろか荒川憩にも――
それでも良いのだと思う。
必要なのは確実に勝てるという確信ではなく、敗北にも折れず勝利を掴もうとする意気なのだろうから。

インハイ団体戦もいよいよ準決勝戦。
奴のいる学校のブロックでは思わぬ波乱があったらしいが、順当に決勝へと進んできた。
奴との戦いは近い。しかし、その前に足元を掬われる訳にはいかない。

有珠山、姫松、それに清澄か――

相手にとって不足は無い。

34: 2013/06/23(日) 21:33:54.49 ID:s0IIu3Wbo
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私が気合いを入れ終わるのとあいつの声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。

「姐さーん!」

軽薄と言っても差し支えないだろう人目を引く金髪の少年が私に近づいてくる。

「……須賀か……その呼び方はやめろ」

こいつと話していると肩の力が抜けていく気がする。
そういえば、初めてこいつと顔を合わせた時は"こいつとだけは仲良くなることはあるまい"と私は身構えていた。
人と人の出会いは余人の計り知れないものだ。宮永照然り、こいつ然り。

「あはは……ガイト先輩にピッタリなんでつい……」

「はぁ……で、どうした?」

「どうしたじゃないですよ。そろそろ時間だから迎えに来たんです」

35: 2013/06/23(日) 21:34:24.81 ID:s0IIu3Wbo
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「一人でか?」

「ダヴァン先輩と一緒に出たんですけど…… カップ麺の特売が」

「……みなまで言うな。大体わかった」

「ありがとうございます……」

海を見つめる私の姿に、その意図を感じ取ったのか須賀もまた私の隣に並び立つ。
波のさざめきと街の喧噪、そして二人の間の沈黙は溶けて一体となる。
いつもは率先して周囲を盛り上げようとする癖に、彼が静かでも居心地の悪い空間にならないのはなぜなのだろう。

思い出したように、須賀が呟く。

「いよいよ白糸台にリベンジですか」

「次の試合に勝てれば、な」

あまり考えずに言った言葉だった。

36: 2013/06/23(日) 21:35:18.89 ID:s0IIu3Wbo
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「 勝ちますよ」

間断を置かずに返ってきたその言葉に、私は貫かれた。
須賀はただ当たり前の事を言ったまでだと言わんばかりに、視線をこちらへも向けず海を見ている。
思わず盗み見たその横顔に当たる海面の反射光は迸る自信のようにも見える。

今度はしっかりと私の目を見て須賀は言う。

「絶対に勝ちます」

――その言葉が何物にも代え難い味方だ。
気を抜くと緩んでしまいそうになる頬を誤魔化す為に大仰な動作で私は髪を結い、眼鏡を掛けた。

これで意志は固まった。

「……行くぞ、京太郎」

私の言葉に京太郎は一瞬驚きの表情を浮かべるが、いつも以上の気合いで応えた。

「はい!」

引用: 京太郎「断片集」