26: 2012/11/09(金) 23:27:20.55 ID:eMTTy3p+o

淡「菫ってさ、オトナだよね」

いつもの如く、唐突に。そして楽しそうに、こいつは言った。

何が気に入ったのか、或いは何が気に食わないのか、時折こちらが困惑するほどに、とにかく淡はコロコロと表情が変わる。

好奇心が服を着て歩いているような。

子供心を捨て忘れてきたかのような。

そんな無邪気で、そして無防備な奴だ。

菫「……なんだ、いきなり」


無邪気──なのは、見ての通り。

高校一年生にもなって、足をぷらぷらとさせながら、オレンジジュースのストローをくわえたりする。

淡「んー? なんとなく、そう思っただけ」


無防備──なのは、私がそう思っているだけ。

こうして隣に座る淡から、ふわりと髪の匂いがするだけで、今すぐその頭を撫でてやりたいと思う。

時折身体を揺らす淡の制服。衣擦れがもどかしい。

至近距離で屈託なく笑う淡を見ていると、胸の奥が暖かくなっていく。

でも。

そんな私の気持ちに、淡は気付いていない。

気付いていないから、こんなに近くで笑いかけてくる。

ちょっと手を伸ばせば、柔らかそうな髪に届くほどの近さで。

ちょっと腕を伸ばせば、肩を抱き寄せられるくらいの近さで。

ちょっと身を寄せれば、温もりを独り占めできそうな近さで。

私のそんな気持ちなんて知らずに。

淡は、無防備に笑っている。
咲-Saki- 27巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)
27: 2012/11/09(金) 23:27:51.29 ID:eMTTy3p+o

菫「私はそんなに、オトナじゃないよ」

淡「いやいや。だって菫、背高いし、スタイル良いし、声も低いし、料理も上手いし」

菫「声は関係ないと思うけどな……」

菫の声を聞いていると落ち着く。

そんな事を言われたのは、いつのことだったか。

その時は適当にあしらったけれど、自宅に帰って一人で舞い上がったのは、未来永劫秘密にするつもりだ。

淡「まぁ、麻雀は私のほうが強いけど!」

菫「……」

淡「んぅ」

軽く額を人差し指でつつく。へへ、と反省の色も見せずに笑った。

まぁ、私も怒ったわけではないから構わないのだけれど。

その、淡の笑顔に対して。

──可愛い、と言えたら。

どれほど、楽になれるだろうか。

……でも、それは言えない。

菫「そんなに持ち上げても何も出ないぞ」

淡「ちぇ。けち」

菫「……はぁ。全く」

淡「えへ」

28: 2012/11/09(金) 23:28:19.48 ID:eMTTy3p+o

淡。私は、お前が思うほど、オトナじゃないよ。

学校の宿題で悩んだりだってする。

休みの日は自室でごろごろしたりする。

夜に甘いものを食べてちょっと後悔したりする。

それに。

こうしてお前と話している瞬間が何より愛しいと思うほどには。

お前とずっと二人でいたいと思うほどには。

私も、子供なんだよ。

だから。

そんなに、持ち上げないでくれ。

そんなに、引き離さないでくれ。

私とお前は、本当に二年分の違いしかないんだから。

私とお前は、まだまだ子供だから。

私だけ、私一人だけ、オトナにしないで欲しい。

そんな名誉や褒め言葉より、私は。

子供でもいいから、お前とずっと一緒に居たいんだよ。

29: 2012/11/09(金) 23:28:47.56 ID:eMTTy3p+o

淡「あ。照来た」

照「遅くなった」

ぱっと淡の身体が離れる。部室に来た照を見て、立ち上がったからだ。

──ああ。分かってる。

そういう事なんだって。

淡は無邪気で無防備なだけだって。

こいつは誰に対してもこうで、どんな感情にもこうなんだって。

決して私が、淡にとって特別なわけではないんだって。

だって。こいつは。


淡「待ちくたびれたよー」

照「ごめん、職員室に用があって」


……淡は。

私より、照が好きなんだから。


淡「今日は負けないから」

照「私もそのつもり」

淡「菫、入ってよ」

菫「……分かってる」

30: 2012/11/09(金) 23:29:15.10 ID:eMTTy3p+o

二人が交際をしているとか、そういうわけではない。

だけれど、二人の様子を見ていれば分かる。

親友の照と、私の好きな淡。

そんな二人を見ていれば、嫌でも。

淡「照。菫って、オトナだよね?」

照「どうしたの、突然」

淡「照が来る前に、そういう話をしてたんだよ」

照「ああ……」

卓を囲みながら─残りの一席には、尭深が入ってくれた─、二人が話す。

私の上家に照、対面に淡。

まるで二人が楽しく話しているところを、見せつけられている気分だ。

……。

……、いや。

まるで、なんて比喩をしなくても。見ないようにしなくても。

この場合、それは文字通りそうといえよう。

ただ、そう思いたくないから、比喩に逃げただけで。


淡は、照の事を好いているし、照も、そんな淡の事を受け入れている。

明確に恋だと言う名義をされていない関係だけれど、いずれ二人がそうなっても、決しておかしくない。

遅いか早いかの、違いだけだ。

二人が付き合うのが早いか。

私が淡を諦めるのが遅いか。

……ただ、それだけの、違い。


淡「で、菫は違うって言うんだけど」

照「ん……」


ちくりと、胸が痛んだ。

淡に、突き放されるようで。

そして、照にもそうされそうで。

一縷の望みを賭けるように、私は二人の言葉に耳をそばだてた。

31: 2012/11/09(金) 23:29:43.88 ID:eMTTy3p+o

淡「菫、背高いし、スタイル良いし、声低いし、料理上手いし」

照「声は関係ないと思うけど……」

淡「そうかなぁ。結構、声大事だと思うけど」

照「でも、確かに菫は淡よりオトナ」

淡「でしょー?」

胸を刺す痛みが、一つ増えた。

淡「って私だけ? 照は?」

照「私は淡よりオトナ」

淡「どこが」

じとりと淡が、半眼で照を見据える。

それには、同意したい。

そして同意するからこそ、辛い。

淡「照だって、料理できないし、ぼーっとしてるし、お菓子食べてもすぐこぼすし、スタイルだって私とどっこいだし」

照「……最後のだけは言われたくない」

照にも意地があるらしい。

……皆まで言うまい。

まぁ、それはともかく。


淡「そんな照が、私よりオトナなわけないでしょ。どっこいだよ」

照「むぅ……」

淡「ね。菫はどう思う?」

菫「私、か?」

淡「そそ。私と照、どっちがオトナ?」


考える。考える必要はないけれど、考えるフリをする。

無邪気で無防備で、そして無頓着で無神経だ。

私が、お前のことを好きだなんてこと、知らないんだろう。

私だけオトナだと言われることが辛いのも、知らないだろう。

私は二人と同じ高校生で、そして。

二人と同じような恋をしていると言うのに。

二人だけが、幸せになれる。

私だけが、幸せになれない。

32: 2012/11/09(金) 23:30:10.22 ID:eMTTy3p+o

──だけれど。

私は、この想いが無駄だなんてこれっぽっちも思わない。

恋をしなければ良かったなんて。

淡を好きにならなければなんて。

そんな事は、一切思わない。

親友と後輩。

私の好きな人が二人、幸せになれる。

私の好きな人が二人、恋を叶えられる。

片方は無邪気さの延長、まだ小さく咲いた淡い色の恋。

片方はそれに気付いてすらいない、まだ蕾の状態の恋。

それでも。

きっと二人は、幸せになれる。

私は、そう確信している。

そして私は。それで、いいと、思う。

思った。

思うことにした。

……思って、割り切って。決心した。


菫「……、私から言わせれば、二人とも子供だ」

淡「えー」

照「ひどい」

菫「ひどくない。オトナな私が言うんだから、間違ってないだろ?」

淡「むー」

照「むぅ」

分かりやすくむくれる淡と、小さく拗ねる照。

本当に、そういうところは、良く似ている。

……だから。

きっと、幸せになれる。


じくじくと胸が痛むけれど、何故だか不思議と、自然な笑顔を浮かべることが出来た。

ああ。

きっと、こう言うところを、淡は。オトナだって、言ってくれたんだな。

33: 2012/11/09(金) 23:30:38.18 ID:eMTTy3p+o

菫「子供同士、そのまま付き合ったらどうだ?」

淡「ふぇ!?」

照「す、菫。何を」

菫「照、それロンだ」

照「え」

菫「悪いな。私の逆転で終了だ」

照「……ずるい」

菫「ずるくないさ。嘘をついたつもりはない」


オトナなんて言葉、好きじゃなかったけれど。

今だけは、それも良い気がしてきた。


菫「お前達、きっとお似合いだぞ」

淡「……そうかな」

菫「ああ」

淡「……えへへ」

嬉しそうに、淡が笑った。

いつもの、私に向ける快活なそれではなく。

ふにゃりとした、甘い笑顔。

私に向けて欲しかった、蕩けるような笑顔。

照「……私の意思は」

淡「照、私のこと嫌い?」

照「いや、そうじゃない、けど」

淡「じゃ、私の事好き?」

照「むぅ……」

じっと、淡が照を見る。

熱を帯びた瞳で。照を見る。


淡「……私は、照の事、好きだよ」

淡「ずっと一緒にいたい」


期待と不安の入り混じった顔。少し身を乗り出す辺りがいじらしい。

照は、そんな淡から目を逸らして口をむぐむぐと動かしている。

照の癖。答えづらいとよくする、癖だ。


なぁ、照。早く答えてやれ。淡が待ってるぞ。

どうせ、心は決まってるくせに。

34: 2012/11/09(金) 23:31:04.43 ID:eMTTy3p+o

照「……、淡のことは、その」

淡「……うん」

照「嫌いじゃ、ない」

淡「それ、さっき聞いた」

照「むしろ、好き、だと……思う」

淡「思う、って曖昧」

照「いや、好きなのは、確かだけど。そういう、淡の思ってる“好き”と一緒なのか……自分でも、良く分からない」

こんなに動揺する照を見るのは、久々だ。


二人に聞こえないように、そっと息を吐く。


照「……だから、その」


ありがとう、と小さく淡に、心の中で呟く。

こうして平静を保っていられるのも。オトナでいられたからだろう。

二人より、ほんのちょっとだけ、オトナになれたみたいだ。


照「答え、出せるのは遅くなると思う。それでも……良い?」

淡「……うん!」


弾けるような笑顔。眩しくて可愛い笑顔。

心のフィルターから消せるのは、どれくらいかかるのかな。

がんばれよ、と小さく照に、心の中で呟く。

淡は見ての通り、無邪気で無防備で無頓着で無神経なやつだけど。

お前のこと、本当に好きだから。

その手、放さないでやってくれ。

色々と大変だろうけれど、私でよかったらいくらでも協力するから。

親友と、後輩のためなら。いくらでも。

だから、がんばれ。

35: 2012/11/09(金) 23:31:39.94 ID:eMTTy3p+o

淡「菫っ」

菫「……ん。なんだ?」

淡「ありがとう!」

それは、淡が初めて私に向けてくれた、ふにゃりとした笑顔。

これから一杯照に向けるであろう、柔らかな笑顔。

甘くて蕩けそうな、見ているだけで涙が出てきそうな、淡の笑顔。

熱くなりかけた目の奥を、無理やりに鎮める。

私はオトナだから。

こんな所で、泣いたりはしないぞ。


──ああ。忘れてた。

もう一つ、言うべき事があったな。


菫「……おめでとう」


私の恋は叶わなかったけれど。

淡の恋が──二人の恋がこれから叶うのならば。

決して私の想いは無駄にはならない。

例えそれが、私に向けたものでないにしても、私の恋した淡が、私の自慢の親友に笑ってくれるなら。


きっと、それも私にとって。

……幸せなんだろうと、思えるから。


おわり。

36: 2012/11/09(金) 23:32:07.20 ID:eMTTy3p+o
長文乱文失礼しました。以上です。

引用: 咲SS総合スレ