【プロローグ】

むかしむかし。

12世紀。インドネシアの東ジャワ州。

クディリ王国のジョヨボヨ王は 不思議な予言を残しました。

その中の一節。

『 我らの王国は白い人に支配される。

  白い人は離れたところから攻撃をする魔法の杖を持っている。

  白い人の支配は長く続く。

  しかし北方からやってきた白い衣を纏う黄色い人が

  白い人を追い払ってくれる。

  黄色い人も我らの王国を支配するが、

  それはトウモロコシの寿命と同じくらいの短い間でしかない。 』


2:2015/03/14(土)21:38:00 
ZP2
※注釈 
同じ役割の人物は一人の顔文字がまとめて演じている場合があります。ご注意下さい
4:2015/03/14(土)21:38:49 ZP2
・タウンマップ 

 

 

6:2015/03/14(土)21:40:26 ZP2
時は流れ、16世紀末…。
8:2015/03/14(土)21:41:57 ZP2
1596年 

(●▲●) 

(●▲●)「お、やーっと着いたわ。情報通りやったな」 

ここはインドネシアのジャワ島。 
この島にとあるオランダの船団が到達しました。
9:2015/03/14(土)21:43:33 ZP2
『オランダ支配350年』 
インドネシア史に残る怨み積もる慣用句。 

【侵略】の歴史。その始まりの年です。
10:2015/03/14(土)21:45:08 ZP2
(●゚◇゚●)「ようこそ、ジャワ島へ」 

(●゚◇゚●)「ここはジャワ島の西部、バンテン地方のバンテン。バンテン王国が統治してるんだよ」 

(●゚◇゚●)「今は胡椒貿易で繁栄しているんだ」 


大航海時代。 
先駆者ポルトガルから始まった香辛料貿易が盛んに行われています。
13:2015/03/14(土)21:46:47 ZP2
(●▲●)「ほーん。ならワイらとも交易しーましょ」 

(●゚◇゚●)「いいよー」 

原住民はオランダの船団を歓迎しました。
15:2015/03/14(土)21:48:22 ZP2
(●▲●)「そか(チャカッ」 

( ◇ )「」 

しかし疑り深すぎた船団長は歓迎した原住民たちを○戮。 
交渉は失敗し、略奪した僅かな香辛料を持ち帰るだけに終わってしまいました。
16:2015/03/14(土)21:49:56 ZP2
(●▲●)「奪えたのはこんだけか…まぁええわ」 

(●▲●)「重要なのはジャワ島への航路開拓」 

(●▲●)「次は失敗せんよ」
21:2015/03/14(土)21:51:41 ZP2
1598年 

(●▲●)「王国はん、王国はん。貿易用の商館設置していーい?」 

(o‘ω‘ n)「うーん…まぁいいよ」 

(●▲●)「ほんならこの辺の貿易を一元化して『オランダ東インド会社』を設立するで~」 

(o‘ω‘ n)「………。」
22:2015/03/14(土)21:53:14 ZP2
オランダは『オランダ東インド会社』を設立しました。 
しかしバンテン王国はオランダを警戒。 
オランダの交易は思ったほどの成果をあげられませんでした。
23:2015/03/14(土)21:54:06 ZP2
・豆知識『東インド』 

『東インド』とは、インドの東のこと…ではありません。 
アメリカは『ヨーロッパから見て西』にあるので『西インド』。 
一方のアジアは『ヨーロッパから見て東』にあるので、インド、中国、日本などは全て『東インド』なのです。
297:2015/03/19(木)22:24:44 q57
・豆知識『インドネシア』その1 

実は”インドネシア”という用語は昔からあったものではありません。 
地理学上の学術用語として、1850年代よりヨーロッパで使用され始めた言葉です。 

オランダは”東インド”と称していましたが、”東インド”とはヨーロッパ目線による地域名です。(>>23
民族主義者にとって、植民地支配の用語そのままの”東インド”は不愉快でしかありませんでした。 
そしてその頃、”インドネシア”という言葉が新たな響きを持って現れたのでした。 

”インドネシア”という用語は民族主義の自覚をもたらしました。 
在欧留学生の『東インド協会』は『インドネシア協会』に改名。 
そして”青年の誓い”によって、”インドネシア”という言葉は政治的意味合いを持つようになりました。
24:2015/03/14(土)21:55:38 ZP2
1619年 

(o‘ω‘ n)「オランダも厄介だけど、王族内の内紛問題も深刻だなぁ」
26:2015/03/14(土)21:57:13 ZP2
(≦・ω・≧) 

(●▲●)「王国はん、王国はん」 

(≦・ω・≧)「え?」 

(●▲●)「内紛で困っとるんやろ?軍事援助したってもええで」 

(≦・ω・≧)「ほんとう?」 

(●▲●)「せやで。ただな…こっちも商売や、タダとはいかん」 

(●▲●)「バンテンの北東に位置する港町、ジャヤカルタを譲ってくれへんか?」 

(≦・ω・≧)「えっ」 

(●▲●)「その代わり絶対に勝たせてやるさかい。どや?」 

(≦・ω・≧)「うーん…分かったよ、その代わり絶対に勝たせてね?」 

(●▼●)「(ニッコリ」 



(^)'・▲・`(^) 「大変です、ジャヤカルタがオランダに占領されました」 

(o‘ω‘ n)「えっ」 

オランダは西ジャワの王族内紛に介入。 
軍事援助の見返りにジャヤカルタを手に入れました。
28:2015/03/14(土)21:59:06 ZP2
(^)'・▲・`(^) 「オランダはジャヤカルタを『バタヴィア』に改称」 

(^)'・▲・`(^) 「更に要塞バタヴィア城を築いたようです」 

(^)'・▲・`(^) 「ちなみにバタヴィアとはオランダの古い地名のようです」 

(o‘ω‘ n)「一体どうすれば…」 


オランダはバタヴィアに新たな商館を設置。 
ここを新たな貿易拠点、中心都市として発展させていきました。
29:2015/03/14(土)22:00:43 ZP2
1629年 

(^)'・▲・`(^) 「ジャワ島中部を統治するマタラム王国がバタヴィアに侵攻したようです」 

(^)'・▲・`(^) 「マタラム王国はオランダを後一歩のところまで追い詰めたようなのですが… 

(^)'・▲・`(^) 「結局要塞バタヴィア城は攻略できず、撤退したようです」 

(o‘ω‘ n)「うちもイギリスさんと連合して攻めたけど勝てなかった…」 

(o‘ω‘ n)「もうジャヤカルタは諦めるしかないのか…」
30:2015/03/14(土)22:01:38 k08
これ、我が国では戦国時代から江戸幕府あたりの話 
その頃オランダもイギリスも我が国と接近していたな 
しかし我が国は植民地にならなかった 
というか
63:2015/03/14(土)22:44:55 ZP2
>>30 
・小豆知識 

日本が植民地の対象にならなかった第一の理由は、やはりヨーロッパからとても遠かったからです。 
そして知っての通り、日本は資源がとても乏しい国です。 
一方のジャワ島含むインドネシア各島は、魅力的な資源がとても豊富なのです。(具体例はこの後の展開で多少触れています) 
日本は遠く、それより近場に豊かな資源場がある。 
これらの理由によって日本は植民地化を免れ続けて来たのではないかと推測されます。
64:2015/03/14(土)22:45:58 CJ6
>>63 
なるほどなあ 結果的に壁になって日本の代わりに犠牲になった面も多少はあるわけか
65:2015/03/14(土)22:46:46 k08
>>63 
異議あり 
江戸時代の日本は資源大国でしたよ
68:2015/03/14(土)22:54:47 x4f
>>65 
金と銀以外なんかあった?(本国で捌けそうなもの)
70:2015/03/14(土)22:58:32 k08
>>68 
それだけあったら十分やないですか(震え声)
31:2015/03/14(土)22:02:17 ZP2
マタラム王国の侵攻を退けたことがバタヴィア拡大の契機になります。 
バタヴィアの街や運河はオランダ風に改修、増築され、『東洋の真珠』と呼ばれる美しい町並みとなりました。 

しかしこの町並みはジャワ島の気候とは合わず、風通しが悪かったり水質が悪化したことで死亡率が高騰。 
『東洋の墓場』とも呼ばれるようになりました。
34:2015/03/14(土)22:03:20 ZP2
その後のオランダは、香料貿易の独占をはかるため、近隣諸島のポルトガル人を排除し征服。貿易の独占に成功します。 
この頃のオランダはまだ港と商館を中心とする交易独占だけで利益をあげていました。
36:2015/03/14(土)22:04:32 ZP2
・豆知識『アンボン事件』 
1623年。イギリスの日本人傭兵の行動に疑問を持ったオランダは、イギリス商館員と日本人傭兵を捕らえます。 
拷問によって要塞奇襲計画を自白させると、イギリス商館員10人、日本人9人、ポルトガル人1人を処刑しました。 

この事件と後の要塞侵攻失敗を契機に、イギリスは香料貿易から撤退し、 
以後香料貿易はオランダが独占するようになりました。 

なお『アンボン事件』にはもう一つ、太平洋戦争開始直後のものが存在します。 
こちらについては後の項にて説明します。
38:2015/03/14(土)22:05:50 ZP2
・豆知識『武士』 

関ヶ原の戦い以後。失業した武士は日本人傭兵として東南アジアへ進出したものがありました。 
オランダ東インド会社にも重宝され、バタヴィア城が包囲された時にも70人の日本人傭兵隊がいたそうです。 
なお、1639年の鎖国令によって関係は絶たれ、以後新たな渡航者はありませんでした。 
この鎖国令ではヨーロッパとの混血児が日本からジャワ島へ追放されたりもしていました。
39:2015/03/14(土)22:07:27 ZP2
・豆知識『オランダ東インド会社』 

正式名称『総オランダ特許東インド会社』。 
株式会社ですが、その権限は条約締結、自衛戦争遂行、要塞構築、貨幣鋳造など多岐にわたり、 
それは最早独立国家、国家の中にある国家というものでした。 

アジアやアフリカへの交易独占を許されており、 
日本の鎖国時代、長崎の出島で行われていたオランダ人との貿易は、 
つまりこの『オランダ東インド会社』との貿易だったのでした。
41:2015/03/14(土)22:09:10 ZP2
1650年以降 

(o‘ω‘ n)「ぼくはスルタン・アグン・ティルタヤサだよ」 

(o‘ω‘ n)「1651年から王位に就いたんだ」 

(o‘ω‘ n)「最初にやるべきことだけど…やっぱりオランダ人をバタヴィアから追放しないと(使命感)」 

(o‘ω‘ n)「まずは交易を盛んにしてオランダの交易に対抗しよう」 

(o‘ω‘ n)「軍にはオランダに対して略奪を実行するよう命令するよ」 

(o‘ω‘ n)「住民たちも積極的にオランダ所有の農園を襲撃してね」 

(●▲●)「そんな…ワイなんも悪いことしてへんのに…」
42:2015/03/14(土)22:10:45 ZP2
1671年 

(o‘ω‘ n)「ふぅ…ぼくもそろそろ引退かな」 

(o‘ω‘ n)「王位はまだ譲らないけど、息子のスルタン・アブドゥルカハルを摂政に任命して隠遁するよ」 

(*^◯^*)「分かったんだ!」
43:2015/03/14(土)22:12:14 ZP2
1676年 

(o‘ω‘ n)「2年前にメッカ巡礼に行った息子がそろそろ帰って来る頃かな」 

(*^◯^*)「ただいまなんだ!」 

(*^◯^*)「今日からぼくはスルタン・ハジを名乗るんだ!」 

(o‘ω‘ n)「えっ」 



(●▲●)
44:2015/03/14(土)22:13:44 ZP2
(*^◯^*)「オランダさんと仲良くするんだ!」 

(●▲●)「摂政さんはいいひとですね」 

(*^◯^*)「それほどでもあるんだ!」
46:2015/03/14(土)22:15:16 ZP2
(o‘ω‘ n)「ねぇ、息子よ。オランダとは仲良くしちゃいけないよ」 

(o‘ω‘ n)「彼らはとても危険なんだ」 

(*^◯^*)「そんなことないんだ!オランダさんはとてもいいひとなんだ!」 

(o‘ω‘ n)「どうしても言うことを聞いてくれないのかい?」 

(*^◯^*)「無理なものは無理なんだ!」 

(o‘ω‘ n)「なら仕方ない。君の摂政権を剥奪するよ」 

(*^◯^*)「そんなことはさせないんだ!」 


そして内戦が始まりました。 



(●▲●)
47:2015/03/14(土)22:16:15 AuZ
(*^◯^*) 無能
48:2015/03/14(土)22:16:58 ZP2
(*^◯^*)「やった!遂に親父殿を捕らえたんだ!」 

(o‘ω‘ n)「そ、そんな…」 

((*^◯^*)「完全勝利なんだ!親父殿はバタヴィアに収監するんだ!」 

(o‘ω‘ n)「息子よ…」 

(●*^◯^*)「これで僕に文句を言える奴は誰もいなくなったんだ!」 

(●▲◯^*)「これからバンテン王国はオランダさんと仲良くしていくんだ!」 

(●▲●*)「オランダさんの言うことだけを聞いておけば何も問題ないんだ!」 

(●▲●)「これからはオランダの時代なんだ!」 

(o‘ω‘ n)「」 


スルタン・ハジの勝利はバンテン王国崩壊の始まりでした。 
スルタン・ハジはオランダの傀儡でしかなく、バンテン王国は事実上オランダの管理下に置かれたのでした。 

なお、捕らえられた国王スルタン・アグン・ティルタヤサはバタヴィアに収監。1692年にその生涯を終えました。
51:2015/03/14(土)22:19:05 ZP2
(●▲●) 

(●▲●)「1650年以降、ワイらは領土獲得を目的にしとったんや」 

(●▲●)「有力商品のコーヒーとかを栽培して輸出するためにな」 

(●▲●)「金になるんや、でも栽培する土地が足りん」 

(●▲●)「せやからな、ジャワ島を統治する邪魔な王国たちには消えてもらうことにしたんや」 

(●▲●)「王朝間の戦争や、後継者争いに介入したりしてな」 

(●▲●)「バンテン王国は見ての通りや」 

(●▲●)「ジャワ島にはもう一つ、大国マタラム王国があるんやけどな」 

(●▲●)「バンテン王国と違ってマタラム王国はでかい」 

(●▲●)「せやけどな」 

(●▲●)「こっちも同じように時間をかけてじっくりゆっくり衰退させて」 

(●▲●)「消滅させたんやで」
53:2015/03/14(土)22:20:56 ZP2
なお、その後のオランダ東インド会社ですが。 
領土獲得のために要した莫大な戦費、更に会社自体の放漫経営が祟って経営は悪化。 
結局オランダ東インド会社は破産、解散することになってしまいました。 

そしてオランダ東インド会社が所有していた領土はオランダ政府が受け継ぎ、 
その領土は『オランダ領東インド』と呼ばれるようになりました。 


 『オランダ領東インド編 完』
58:2015/03/14(土)22:25:48 w5P
東インド会社恐ろしいな 
敵対してるイエズス会と同じ事してるやんけ 
同じ会社の安針さんはええ印象あるのに… 
ポルトガル追い出すために猫被ってたんかな?
79:2015/03/15(日)22:10:52 cRA
┌─────────────────────────┐ 
│                                      | 
│                  今日はいきなり番外編だよ>(≦・ω.| 
│                                      | 
│ω‘ n) <本編はもうちょっと待ってね                .| 
│                                      | 
│                                      | 
│   (((( ●▲●)                                .| 
│                                      | 
│                         (●゚◇゚● ))))      .| 
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│             しばらくお待ちください            .| 
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│                (^)'・▲・`(^)               .| 
|                                      | 
|       (((( *^◯^*)<今回は本編とはあまり関係ないんだ! | 
└─────────────────────────┘
81:2015/03/15(日)22:12:28 cRA
その後のオランダ本国では色々な事がありました。ナポレオンに屈し、国が滅んだりもしました。 
その余波でオランダ領東インドをフランスが統治したり、イギリスが統治したりする時代がありました。 

とは言えその期間は短く。後にオランダに返還され。 
ここから先の時代では、オランダによるインドネシア統治が続くのでした。
82:2015/03/15(日)22:13:48 cRA
【番外編:ラッフルズ】
84:2015/03/15(日)22:15:17 cRA
('ω`) 

('ω`)「私の名前はトーマス・ラッフルズ」 

('ω`)「正式には『トマス・スタンフォード・ラッフルズ』というんだけどね」 

トーマス・ラッフルズ。 
イギリス生まれの彼は、14歳の頃からロンドンの東インド会社で働き始めます。
85:2015/03/15(日)22:16:47 cRA
1805年 

('ω`)「ぼくは書記補なんだ」 

('ω`)「今日からマレー半島のペナン島に赴任だよ」 

('ω`)「これからマレー語を習得するんだ」
86:2015/03/15(日)22:18:26 cRA
('ω`)「ヨーロッパではナポレオンが暴れ回ってるのか…」 

('ω`)「オランダも滅んだらしい…」 

('ω`)「オランダ…」 

('ω`)「…オランダの植民地政策だけは、絶対にゆるさない…」 


ナポレオン全盛の時代。 
オランダはナポレオンに屈し、その余波でオランダ領東インドはフランスが統治することになりました。 

ラッフルズはオランダの植民地政策…『略奪式経営』とも呼ばれるそれを、とても嫌っていました。 
憎んでいたと言ってもいいくらいです。 

オランダの植民地政策についてはこの番外編の後、次の章にて説明します。
87:2015/03/15(日)22:20:09 cRA
('ω`)「バタヴィアを攻めましょう!」 

('ω`)「あの地を我らの植民地にするのです!」 

(U・×・U)「お、おう。せやな、攻めよか」 

ラッフルズはフランス統治中のバタヴィアを攻めるようインド総督ミントーに進言。 
自らも遠征軍に参加しました。
88:2015/03/15(日)22:21:41 cRA
('ω`)「やったぞ!」 

('ω`)「ねんがんの バタヴィアを てにいれたぞ!」 

イギリスはバタヴィアを占領し、オランダ領東インドを治めることになりました。 


なおこの計画は現地の独断専行によるもので、本国イギリスにとっては予期せぬ出来事でした。 
とは言え、アンボン事件で一度は撤退したこの諸島へ、再びイギリスが戻ってきたのでした。
90:2015/03/15(日)22:23:20 cRA
(U・×・U)「あ、そうそう」 

(U・×・U)「ワイ総督はインドの方で忙しいから、こっちにはあんま来られへんねん」 

(U・×・U)「お前を副総督に任命するから、あとは好きにやってや」 

('ω`)「分かりました!」 


計画推進者のラッフルズはジャワ副総督に任命されました。 

ミントー総督はラッフルズに全てを任せてインドのカルカッタに常駐したため、 
事実上、ラッフルズはジャワ島の最高支配者でした。
91:2015/03/15(日)22:24:55 cRA
('ω`)「好きにしていい…ジャワ島を好きにしていいって言われたよ…」 

('ω`)「ふふふ、なにをしようかなー」 

('ω`)「……オランダ……」 

('ω`)「…まずは、オランダのやり方を、全て潰さないと(使命感)」
92:2015/03/15(日)22:26:26 cRA
('ω`)「最初に税制改革」 

('ω`)「次に刑法の近代化」 

('ω`)「奴隷制は廃止します」 

ラッフルズはオランダの残した様々な事に着手し、成果を上げていきました。
94:2015/03/15(日)22:27:59 cRA
('ω`)「ふぅ、疲れた…でも頑張らないと」 

('ω`)「明日は密林の調査だよ」 

ラッフルズは学術的にとても優秀な人物のようで、探検家としての側面も持ち合わせていたようです。
95:2015/03/15(日)22:29:36 cRA
('ω`)「あれは…新種の植物!?」 

('ω`)「この花がラフレシアか…世界に広めないと(使命感)」 

('ω`)「…あれは…伝説の古代遺跡!?」 

ラッフルズによって新種の動植物が発見され、それらが世界に発表されました。 
世界最大の花ラフレシアもラッフルズによって紹介されたようです。 
そしてラッフルズらによって密林の中から発見された古代遺跡の調査も行いました。
97:2015/03/15(日)22:31:10 cRA
なお。 

('ω`)「…あ、あれ?船が燃えてる!?」 

('ω`)「そ、そんな。あそこには研究成果をまとめた貴重な資料が…」 

('ω`)「待って、せめて資料だけは、資料だけは…」 

様々な学問的成果をまとめて積み込んでいた船が火事で焼失。 
刊行を企てていた『スマトラ誌』が灰燼に帰したこともありました。
98:2015/03/15(日)22:32:43 cRA
また、こんなこともありました。 

('ω`)「イギリスと日本の交易が途絶えてもう随分経つ」 

('ω`)「そろそろ復活させてもいい頃合いだと思うんだ」 

('ω`)「でもオランダ船以外は追い返されてしまう…」 

('ω`)「そうだ!オランダ船のふりをして、こっそり長崎へ向かわせよう!」 

('ω`)「何せここは『オランダ領東インド』」 

('ω`)「ここから日本に行く船なら、それはオランダの船だもんね」 

英日交易復活のため、ラッフルズは長崎へ船を派遣したこともありました。
99:2015/03/15(日)22:34:13 cRA
なお。 

(・日・)「は?お前らイギリス人やんけ、アカンアカン」 

('ω`)「」 

幕府の役人に見抜かれて追い返されていました。
100:2015/03/15(日)22:35:54 cRA
さて、そんなラッフルズ治世ですが。 
実はインドネシアではあまり評価が高くないそうです。 

というのも。 


('ω`)「反抗的な王家の人間は排除するよ」 

('ω`)「それでも歯向かってくる?」 

('ω`)「なら王宮を攻めるしかないね」 


このような帝国主義的手法は、オランダのそれと同じものでした。 
そんな訳で、ラッフルズ治世には賛否両論がある訳です。
101:2015/03/15(日)22:36:28 mCW
幕府の役人ってマジ有能やったからな 
この頃オランダ本国がなくなってることも見抜いていたとか 
なおこういうことは教科書には載らない模様
128:2015/03/15(日)23:08:14 cRA
>>101 
余談ですが、「オランダ東インド会社」が破産・解散し「オランダ本国」に領土が受け継がれた件。 

この件を日本の役人に経緯を説明するのはとても難しく、また商権を失うリスクだけがあったため、 
オランダサイドは「オランダ東インド会社」が存在し続けているかの如く見せかけていたようです。 

きっと表に出て来ない色々な策謀が渦巻いていたのでしょうね。
103:2015/03/15(日)22:37:24 cRA
やがて、ナポレオンが没落し、ヨーロッパは正常化に向かいます。 
それはオランダ領東インドにも…。
105:2015/03/15(日)22:38:58 cRA
(U・×・U)「残念だが、政治的判断により、オランダ領東インドはオランダに返還することになったよ」 

('ω`)「えっ」 

('ω`)「そんなの断固反対です!」 

('ω`)「オランダなんかに返したら、また奴らは繰り返すじゃないですか!」 

(U・×・U)「そうはいっても、これは本国の決定事項なんだよ…」 

('ω`)「そんな…」 

ジャワ島は政治的判断によってオランダに返還されることになりました。
106:2015/03/15(日)22:40:34 cRA
更に…。 


(・英・)「おい、ラッフルズ」 

('ω`)「え、何?」 

(・英・)「お前汚職してるだろ、分かってるんだぞ」 

('ω`)「そ、そんなことある訳が…」 

(・英・)「言い訳無用。いいからさっさとイギリスに帰るんだな」 

(・英・)「ここにお前の仕事はもうないんだよ」 

('ω`)「…」 

植民地行政の輝かしい名声の一方、妬みから汚職の嫌疑をかけられたラッフルズは、 
失意のうちに母国へと帰国することになったのでした。
107:2015/03/15(日)22:42:04 cRA
さて。ロンドンに引き上げたラッフルズですが。 

('ω`)「アジア…アジア…トウナンアジア……」 

彼の東南アジアへの情熱は止まりませんでした。
109:2015/03/15(日)22:43:34 cRA
そして。 

('ω`)「今日からぼくはスマトラ島ブンクルの副総督だよ」 

彼はスマトラ島に戻ってきました。 
ここのイギリス領はジャワ島より狭い範囲でしたが、彼はここでも積極的に探検活動に励んでいたようです。
110:2015/03/15(日)22:45:09 cRA
('ω`)「よし、探検も終わったし…」 

('ω`)「早速、スマトラ島全域の支配に乗り出すよ」 

(U・×・U)「駄目です」 

当然、イギリスはそれを許しませんでした。
112:2015/03/15(日)22:46:43 cRA
(U・×・U)「オランダの既得権益は侵しちゃ駄目だよ」 

(U・×・U)「そうじゃないとオランダ領東インドを返還した意味がなくなるじゃないか」 

(U・×・U)「だからスマトラ島での活動は、西部のブンクルだけだよ」 

(U・×・U)「わかったね?」 

('ω`)「………」
113:2015/03/15(日)22:48:15 cRA


('ω`)「オランダの既得権益は侵しちゃいけない…」 

('ω`)「………」 

('ω`)「………」 

('ω`)「………」 

('ω`)「………………!」
114:2015/03/15(日)22:48:37 mCW
嫌な予感しかしない
116:2015/03/15(日)22:49:47 cRA
(●▲●)「ラッフルズが戻ってきたか」 

(●▲●)「奴はバタヴィアを攻めた危険人物や」 

(●▲●)「また奴が独断専行で暴走するかもしれへん」 

(●▲●)「そうはいかんで…」 

オランダはラッフルズの再来に備え、各海峡、各諸島に防衛策を講じました。
117:2015/03/15(日)22:51:19 cRA
(●▲●)「ふぅ、これで一安心や。返り討ちにしたるで~」 





(・蘭・)「大変です、ラッフルズがシンガポール島に!」 

(●▲●)「ファッ!?なんやて!?」 

そこはオランダにとって盲点でした。
119:2015/03/15(日)22:52:51 cRA
(●゚◇゚●)「ようこそ、マレー半島へ」 

(●゚◇゚●)「ここはマレー半島の先端、シンガポール島。ジョホール王家が統治しているんだよ」 

(●゚◇゚●)「マレー漁師150人程度が生活する小さな漁村なんだ」 

('ω`)「こんにちは、ジョホール王からシンガポールを買収してきたラッフルズです」 

('ω`)「ここに市街地を建設して居住者を送り込んで」 

('ω`)「イギリスの拠点とします」 

ラッフルズは制約をかいくぐるため、シンガポール島に目を付けました。 

当時のシンガポールはマレー半島ジョホール王家に属する小さな漁村。 
そこでラッフルズはシンガポールを買収して市街地を建設、居住者を送り込むことで、 
短期間のうちにイギリスの拠点であることを既成事実化してしまったのです。
120:2015/03/15(日)22:54:23 cRA
(U・×・U)「どうすんだよこれ…(困惑)」 

('ω`)「いいえ、このシンガポールはとても役に立ちますよ」 

('ω`)「イギリスの東南アジア拠点として使えますし」 

('ω`)「中国への航路を確保することもできます」 

('ω`)「ここは絶好の土地なのです」 

(U・×・U)「そうか…うん、そうだな」 

始めは困惑したイギリスも、結果論的にこのシンガポールの有効性を把握します。
121:2015/03/15(日)22:56:00 cRA
その後、1824年の英蘭協約で両者の境界線をマラッカ海峡とし、 
シンガポール島がイギリス主権下であることがオランダにも認められたのでした。 


ラッフルズは今でも『シンガポール建国の父』として愛されているそうです。 



【番外編:ラッフルズ 完】
122:2015/03/15(日)22:56:19 umg
やっぱラッフルズホテルって彼に起因してるんやね
130:2015/03/15(日)23:24:51 cRA
>>122 
・小豆知識『ラッフルズ』 

シンガポール人に愛された建国の父、ラッフルズ。 
シンガポールには創健者ラッフルズの名の付く通り、島、博物館、ホテルなどで溢れ、 
白と黒のラッフルズ像まであるそうです。 

インドネシアには副総督在任中に亡くなったオリビア夫人の記念碑が、 
ラッフルズの建てた植物園の木立の中にひっそりと残されているそうです。
133:2015/03/16(月)22:00:43 4GR





(●゚◇゚●) ( ●▲●) ( ^)'・▲・`) ( o‘ω ) ( ≦・ω) ( 'ω) (  U・×) (◯^* ) 

                   Now loading... 



(*^◯^*)<今回は第2章の前半部だよ! 

(o‘ω‘ n)<番外編が膨れあがって修正が間に合わなかったんだ
134:2015/03/16(月)22:02:25 4GR
【第2章】 



さて。 
舞台はインドネシアに戻ります。
136:2015/03/16(月)22:03:59 4GR
(●▲●)「おまえら集まれや~」 

(●▲●)「これからワイが言うことをしっかり守るんやで~」 

(´・ω・`)「わかったよ、オランダのおにいちゃん」
137:2015/03/16(月)22:05:32 4GR
(●▲●)「まず。お前ら100以上ある部族は協力したらいかんのやで~」 

(●▲●)「せやから共通の言語は作ったらいかんのや」 

(●▲●)「道ばたで3人以上集まって話すのもアカンな、破ったら厳しい処罰をするで~」 

(´・ω・`)「わ、わかったよ、オランダのおにいちゃん」 

(●▲●)「ワイらに従順な一部の部族は警官として雇用したるで~」 

(●▲●)「あ、経済は中国の華僑を利用するで」 

(●▲●)「経済のことはワイらには関係あらへんから聞かんといてや~」 


オランダはインドネシア全土を狡猾に支配しました。 
住民の結束を妨げるため、とても厳しい制限を課し。 
更に経済は中国の華僑を利用することで、反感が直接オランダに向かわないようにしました。 
教育は制限され、巧みな『愚民化政策』でインドネシア全土を支配し続けたのです。
139:2015/03/16(月)22:07:14 4GR
( `o´) 

( `o´)「私の名はディポヌゴロ」 

( `o´)「マタラム王国、ジョグジャカルタ王家の王子だ」 


…マタラム王国。 
中部からジャワ島のほぼ全域を支配していた大国。 
ですが王家内の度重なる対立、何度も何度も繰り返される継承戦争。 
そしてその度に介入し、調停者として乗りだしてくるオランダ。 
既に王国は分割され、王家はオランダの傀儡同然です。 
マタラム王国は自滅によって衰退し、まもなく消滅しようとしていました。
141:2015/03/16(月)22:08:41 4GR
ディポヌゴロ王子。 
彼は長男でありながら、母親の身分が低かったため跡取りとなれず、祖母の元で育てられました。 
そして腐敗と陰謀に明け暮れる宮廷を憂い、宮廷を離れて寄宿学校に住み込み、民衆との接触を好みました。
142:2015/03/16(月)22:10:16 4GR
( `o´)「この宮廷の現状をなんとかしたい…」 

☆『今こそ立ち上がれ』 

( `o´)「!?」 


そんなある日。彼は神ラトゥ・アディルからの啓示を受けます。 
ラトゥ・アディルとは、末世に現れる正義の神としてジャワ人から信じられていました。 

やがて王子は自らラトゥ・アディルであることを名乗り、苦しんでいたジャワ人たちから神として崇められました。
144:2015/03/16(月)22:11:50 4GR
(●▲●)「あ、この土地は道路にするから取り上げるで~」 

( `o´)「!?」 

( `o´)「この土地は私の土地だぞ!?」 


始まりは、王子所有の土地が道路用地として無断で取り上げられたことでした。
146:2015/03/16(月)22:14:33 4GR
1825年7月 

( `o´)「もう我慢ならん!」 

( `o´)「マタラム王国が衰退したのも」 

( `o´)「王位継承者にオランダに従順で無能な奴ばかりが選ばれるのも」 

( `o´)「それもこれも全部あいつらのせいなんじゃ!」 

( `o´)「絶対に許さない。顔も見たくない」 

( `o´)「反乱じゃ!」 


東インドにて、ディポヌゴロ王子を指導者とする反乱『ジャワ戦争』が発生します。 

当時、オランダ人農園の進出により、ジャワ島は農地まで侵略されていました。 
更に中部ではコレラが流行し、火山が噴火し、物価上昇で生活は困窮、社会不安が増大していました。 
あとはしかるべき指導者の登場を待つだけでした。 

この反乱は王族、貴族、更には民衆の支持も受け、中部、東部のジャワ島全土に拡大しました。 
更にラトゥ・アディルの出現によって宗教指導者も参戦し、宗教戦争の側面もありました。 

これまでにも小さな反乱はありましたが、今回の反乱はジャワ島で初めての大規模な反乱となりました。
147:2015/03/16(月)22:16:04 4GR
当初オランダの王族を舐めていたオランダでしたが、 
ディポヌゴロ王子の言動に不安を感じ、オランダの先制攻撃で戦争が始まりました。 

反乱軍はオランダ人やオランダ側の中国人、更に王室をも攻撃しました。
148:2015/03/16(月)22:17:39 4GR
U・ω・U 

(●▲●)「おう」 

U・ω・U「あっ」 

(●▲●)「おまえら、ワイらに逆らって本気で勝てると思っとるんか?」 

U・ω・U「そ、そんなこと…」 

(●▲●)「それにや。奴は神やろ?」 

(●▲●)「今や神格化されて大人気やん」 

(●▲●)「せやけどな」 

(●▲●)「おまえらイスラム教にとっては、ちょ~っと不味いんちゃう?」 

(●▲●)「もしかしたら、奴の宗教はイスラム教から取って代わるかもしれへんなー」 

U・ω・U「………」 



U・ω・U「ごめんなさい、やっぱりオランダ側につきます」 

( `o´)「ファッ!?」 

当初支援していた王族や貴族、宗教指導者などは、オランダからの恫喝などを受け、次第に反乱軍から離れていきました。
149:2015/03/16(月)22:19:07 4GR
(●▲●)「ええで~、ええで~。やっぱり近代兵器は最強や!」 

( `o´)「(アカン)」 

やがてオランダ側が要塞を設けて近代武器で反撃すると、反乱軍は次第に不利になっていきました。
150:2015/03/16(月)22:20:35 4GR
( `o´)「こ、こうなったら…」 

( `o´)「ゲリラ戦じゃ!」 

オランダ軍の近代兵器に追い詰められた反乱軍は、最終的にゲリラ化して戦いました。
151:2015/03/16(月)22:22:06 4GR
(●▲●)「反乱軍も大分弱体化したなー、これならそろそろ終わるやろ」 

(●▲●)「せや!王子の首に巨額の懸賞金かけたるわ」 

(●▲●)「これでこの戦争も終わりやな」
205:2015/03/16(月)23:38:48 4GR
>>152 
・小豆知識『クラカタウ諸島』 
ジャワ島とスマトラ島の中間、スンダ海峡にある火山島の総称。 

1883年8月27日。この諸島の3つの火山が一度に噴火。大噴火が起こります。 
地質学史上、第5位の爆発規模だそうです。 
クラカタウ火山は完全に消失。7割の島が消滅しました。 



これにより最大40mの津波が観測。 
死者36417人。インド洋最大の津波災害を引き起こします。(なお、後の2004年スマトラ島沖地震で更新されます) 
更に成層圏にまで達した噴煙により、北半球全体の平均温度が0.5~0.8度下がり、世界中に異常気象を引き起こしました。 

爆発の10年後。 
ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクはこの異様な空模様を日記に残し、代表作『叫び』を描いたそうです。
153:2015/03/16(月)22:23:38 4GR
U・ω・U「ごめんなさい、幾ら積まれても王子は売れません」 

しかし王子の下を離れる部下はあっても、金で王子を売るジャワ人はいませんでした。
154:2015/03/16(月)22:25:09 4GR
(●▲●)「うーん、どないしよ。いい加減戦争終わりにせんと」 

(●▲●)「でもゲリラ戦やから全然決着付かへん…」 

(●▲●)「しゃーない、和平や。これで決着したるわ」 

万策尽きたオランダは、反乱軍に和平の呼びかけをしました。
155:2015/03/16(月)22:26:41 A0g
>>154 
(アカン)
156:2015/03/16(月)22:26:53 4GR
( `o´)「和平?本当か?」 

(●▲●)「ああ、本当やで」 

(●▲●)「せやからひとまず出て来て話し合おうや」 

( `o´)「せやな」 

和平の呼びかけに応じ、ディポヌゴロ王子は単身話し合いに向かいました。
157:2015/03/16(月)22:28:35 4GR
(●▲●)「嘘に決まっとるやんけ」 

( `o´)「あっ」 

オランダの騙し討ちに遭い、ディポヌゴロ王子は捕らえられ、ジャワ戦争は終結します。 

この戦争は5年間のゲリラ戦を経て1830年まで続き、死者20万人の総力戦となりました。
159:2015/03/16(月)22:30:15 A0g
>>157 
やっぱりな(レ)
158:2015/03/16(月)22:30:08 4GR
なお、その後のディポヌゴロ王子ですが。 


神がかり的な人気を恐れ、オランダは王子を処刑することができませんでした。 
そのため彼を流刑に処し、その後も囁かれる王子の名を押さえつけるため、3人の息子も流刑に処しました。 

享年70歳。非常に長命であり、禁欲と瞑想に明け暮れた終生でした。 
著作に『ディポヌゴロ物語』があるそうです。 

戦争で多大な犠牲を出したにも関わらずディポヌゴロ王子への信仰は厚く、 
それは正に西洋人にとってのキリストに匹敵する存在だそうです。 
彼の墓は聖地とされ、今もインドネシア全土から訪れる人が絶えないそうです。 



『ジャワ戦争編 完』
161:2015/03/16(月)22:32:01 4GR
なお、今日は引き続き次の物語へ移行します。
162:2015/03/16(月)22:32:40 4GR
(●▲●)「はー、面倒臭い奴らやったな。軍事費嵩むやんけ…」 

(●▲●)「なに?スマトラ島でも戦争?」 

(●▲●)「しゃーない、介入してさっさと終わらせたるわ」 


同時期にスマトラ島で発生した『パドリ戦争』。 
当初はイスラム教の宗教改革運動として推移していました。 

しかしオランダ軍の介入によって反オランダ戦争の様相を示すことになります。 
この戦争によって西スマトラにオランダの植民地支配が確立されました。
163:2015/03/16(月)22:34:12 4GR
(●▲●)「あー、軍事費が嵩むなー」 

(●▲●)「オランダ本国の財政状態もアカンなぁ」 


この頃、胡椒や香料などの香辛料は供給過剰に陥っていました。 
需要は減少し、それらの重要性は低くなっていたのでした。
164:2015/03/16(月)22:35:51 4GR
(●▲●)「どないしよ…せや!」 




(●▲●)「おーい、おまえら集まれや~」 

(●▲●)「これからワイが言うことをしっかり聞くんやで~」 

(´・ω・`)「わかったよ、オランダのおにいちゃん」
165:2015/03/16(月)22:38:06 4GR
(●▲●)「コーヒー、サトウキビ、藍、茶、タバコ、綿花など」 

(●▲●)「これからはワイらが指定した農作物も指定した場所で栽培するんやでー」 

(●▲●)「面積は…農地全体の20%ってところやな」 

(●▲●)「栽培したもんは全てワイら植民地政府が独占的に買い上げる」 

(●▲●)「これは絶対やで、破ることは許されへんでー」 

(´・ω・`)「わかったよ、オランダのおにいちゃん」
166:2015/03/16(月)22:39:39 4GR
香辛料の需要減少に伴い、新たな熱帯作物の需要が国際的に高まっていました。 
そこで需要の高い熱帯作物を指定して栽培させ、全てを買い上げた東インド植民地政府は、 
それらをヨーロッパに転売することで、莫大な利益をあげることになりました。 


これによってオランダ本国の財政赤字すらも解消。 
産業革命期に入ったオランダのインフラ整備に大きく貢献しました。 

(●▲●)「アカン、ウハウハや!」 

(●▲●)「これはもっと植民地民には働いてもらんとなぁ(ゲス顔」
167:2015/03/16(月)22:40:34 4GR
一方インドネシアでは…
168:2015/03/16(月)22:42:55 4GR
(´・ω・`)「ふぅ、今日も畑で藍の世話をしないと…」 

(´・ω・`)「頑張って育ててもオランダのお兄ちゃんに安値で持って行かれちゃうんだけどね…」 

(´・ω・`)「栽培しなきゃいけない面積も20%どころじゃ済まなくなってるし…」 


さて。『20%』というこの制度は、一見穏やかな制度に見えます。 
しかし、人頭税など、今まで納めていた税とは全く別の税として扱われました。 

また、安値で買い上げられるのは元より、ジャワ人貴族の封建支配によるピンハネ、 
更に育て慣れない作物を育てる労力、育てた指定作物を指定場所まで運ぶ労力。 
指定作物に費やす労力は、20%どころの話ではありませんでした。 

なお、農民の得た僅かな金銭収入は、別途地租税として召し上げられました。
169:2015/03/16(月)22:43:56 4GR
(´・ω・`)「この畑は以前はきうり…じゃなくてお米を育ててた水田だったんだよなぁ」 

(´・ω・`)「藍じゃお腹はふくれないね…」 

サトウキビ、藍は水田に栽培され、米の生産に悪影響を与えました。 
特に藍のような不運な作物を指定された農民は、生活に酷く困窮したのでした。 
(藍とは藍染めなどに使用される青色の染料です)
170:2015/03/16(月)22:45:39 4GR
(´・ω・`)「あ、あれ?なんだか畑のようすがおかしいよ…?」 

(´・ω・`)「もしかして、今年も不作…?」 

(´・ω・`)「ど、どうしよう、去年も不作だったから蓄えがないよ…」 

(´・ω・`)「水田はほとんど藍畑になってるし、一体どうすれば…」 

凶作が重なると深刻な飢饉を招き、餓死者が出る事態にすらなりました。 


『強制栽培制度』と呼ばれたこの制度。 
(正式名称は『栽培制度』。『強制』は第三者によって命名されたものです) 

これによってオランダは莫大な利益を上げましたが、 
栽培を強制されたインドネシアは大きな負担を強いられたのでした。 



【強制栽培制度編 完】
171:2015/03/16(月)22:46:35 4GR
そしてここから番外編の連投に入ります。 
もう暫くお楽しみ下さい。
173:2015/03/16(月)22:47:38 4GR
【番外編:マックス・ハーフェラール】
174:2015/03/16(月)22:48:46 4GR
1860年。 

オランダで『マックス・ハーフェラール』という小説が『ムルタトゥーリ』によって発表されました。 

『ムルタトゥーリ』とは、オランダ領東インド現場責任者・副理事官エドゥアルト・ダウエス・デッケルのペンネームです。 
彼は自身の経験を元に小説を執筆。 
ペンネーム『ムルタトゥーリ』を用いて『マックス・ハーフェラール』を出版しました。
175:2015/03/16(月)22:50:19 4GR
小説の内容は次の通り。 

新しくやってきた副理事官は、現地民族長の横暴・収奪を阻止しようします。 
また、前任者の毒○紛いの死因を総督に告発しました。 
しかし、告発は総督に揉み消され、更に副理事官は解雇されてしまったのでした…。 

これに現地民の悲恋話が加わる、というものです。
176:2015/03/16(月)22:51:47 4GR
『強制栽培制度』。 
これはジャワ島の村落共同体に大きな影響を与えていました。 

植民地政庁は村長の権限を拡大し、行政機構に組み入れました。 
指定作物の強制栽培は村長を通して行われました。 

これによって村長は多大の収入が与えられます。 
しかし村長と村民の関係は大いに悪化したのでした。
178:2015/03/16(月)22:53:19 4GR
さて。『マックス・ハーフェラール』ですが。 
これは「現地民族長が悪であり、これをオランダが正しく管理する必要がある」。 
そういう植民地支配の正当性を主張する、いわゆる植民地支配寄りの作品という面を持つ、という見方もあります。 

作中の主人公・副理事官『ハーフェラール』とは異なり、 
作者『デッケル』はオランダによる植民地支配を肯定する立場だったのでした。
179:2015/03/16(月)22:54:52 4GR
そんな『マックス・ハーフェラール』ですが。 

この小説によって、オランダ本国に『強制栽培制度』の実体が知れ渡りました。 
これにより『強制栽培制度』を非難する声が高まり、 
1860年代以降、『強制栽培制度』は需要の少なくなった農作物から順に廃止されることとなったそうです。 

この小説は今もオランダ文学の古典とされているそうです。
180:2015/03/16(月)22:56:24 4GR
なお、この小説は政治家ファン・レネップに委託して出版されました。 
しかし、レネップの手によって植民地政策に反する部分は削除されていたようです。 

1874年。著作権を取り戻したデッケルが記憶を頼りに内容を修正、第四版が出版されます。 

更にデッケルの死後。 
1949年。元原稿が発見されて出版された、という経緯を持つそうです。
181:2015/03/16(月)22:57:37 4GR
さて。何故『強制栽培制度』を廃止したこの流れが『番外編』なのか? 
それは次の本編にて。 

【番外編:マックス・ハーフェラール 完】
182:2015/03/16(月)22:58:53 4GR
【番外編:バリ島】
183:2015/03/16(月)23:00:21 4GR
(U・×・U)「我がイギリスはシンガポールを拠点に絶賛交易中だよ」 

(U・×・U)「今度はオーストラリアやニュージーランドとも交易をしたいなぁ」 

(U・×・U)「さて、どの海路を経由してあっちの方に向かおうか…」 

(U・×・U)「…やっぱり、このロンボク海峡かな」 

ロンボク海峡。 
それはロンボク島とバリ島の間にある海峡でした。
184:2015/03/16(月)23:01:45 4GR
さて。実はバリ島には未だオランダの手が伸びていませんでした。 
というのも、バリ島に特産品がなく、奴隷の供給地として以外は大した魅力がなかったのでした。 

しかし、ライバル植民地帝国のイギリスがこの海峡に関心を持つようになり、 
オランダはバリ島を防衛せざるを得なくなりました。
185:2015/03/16(月)23:03:11 4GR
ある日。 

(●゚◇゚●)「あ、難破船だ」 

(●゚◇゚●)「難破船の荷物は『海からの贈り物』なんだよ」 

(●゚◇゚●)「早速もらいに行こう!」 

たまたま、バリ島近海で難破船の荷物をバリ人が取得することがありました。 
それはバリ人にとってはごく当たり前の慣習でした。
186:2015/03/16(月)23:04:36 4GR
ですが。オランダはそれを黙認しませんでした。 

(●▲●)「賠償金払えや」 

(●゚◇゚●)「え、やだよ」 

(●゚◇゚●)「なんなら槍の先で賠償金を支払ってやる!」 

(●▼●)「言ったな?(ニヤリ」 

その回答を待っていたと言わんばかりに。 
オランダはバリ島への侵略を開始しました。
187:2015/03/16(月)23:05:50 tsD
オランダ容赦ねーな
188:2015/03/16(月)23:05:57 4GR
(●▲●)「ワイらオランダの宗主権を認めるんやで~」 

(´・ω・`)「わ、分かったよ…」 

(●▲●)「やったぜ。」 

1840年~1843年。第1次バリ戦争。 
これによってオランダは各王国にオランダの宗主権を認めさせます。
189:2015/03/16(月)23:07:22 4GR
(●゚◇゚●)「やっぱりやだ」 

(●▲●)「は?(威圧)」 

しかしブレレン王国がこれに反発。 
1848年。第2次バリ戦争が始まります。
190:2015/03/16(月)23:08:47 4GR
(●▲●)「ちょっと痛い目見せたるわ」 

(●▲●)「…?」 

(●▲●)「…お?」 

(●▲●)「………おお?」 

(●゚◇゚●)「ヤマダ!ユウヘイ!バレンティン!やってしまうんだ!」 

(●▲●)「ちょ、待ちーや!それ反則やで!」 

何とここで遠征軍は手痛い敗北を喫します。
191:2015/03/16(月)23:09:48 4GR
(●▲●)「ワイを本気にさせたな?」 

(●▲●)「燃やしたるわ」 

(◇)「ぁぁぁ、ジンタイが…燃える…燃える……」 

1849年。第3次バリ戦争。 
オランダは12000人からなる遠征軍を送り、ロンボク海峡に面する王国を制圧したのでした。
193:2015/03/16(月)23:10:52 4GR
一方の海峡を挟んだ向こう側、ロンボク島。 
この島はバリ島の覇権が及んでいましたが…。
194:2015/03/16(月)23:12:20 4GR
(o^^o)「反乱を起こすんだ!」 

(●▲●)「お、ええこと聞いたわ」 

ササック族のバリ島支配への反乱。これにオランダが乗じて進出。 
そうしてロンボク海峡を確保しました。
195:2015/03/16(月)23:14:01 4GR
なお、バリ島南部には未だ小王国が残っていましたが、そのうちの幾つかはオランダに懐柔されます。 

また、小王国同士の対立で亡命していたギャニアール王国。 
この王家がオランダに自国再興の助けを求めたことが、南部王国征服の契機となったのでした。 



【番外編:バリ島 完】
202:2015/03/16(月)23:27:16 4GR
・小豆知識『ムラピ山』 
1822年に噴火した火山。 
前年1821年にコレラが流行しており、これらの事象がジャワ戦争に大きく関わったとされます。 

名称は「火の山」の意。 
1548年から計68回も噴火しており、2010年にも噴火しているようです。 
噴火の度に2000人ほどの死者を出しています。 
メラピ山とも書かれ、スマトラ島中部にも同名の火山があるそうです。
204:2015/03/16(月)23:36:35 QiT
おもろいな
217:2015/03/18(水)21:00:37 ivN

  (●゚◇゚●) 
     (^)'・▲・`(^) 
        (U・×・U) 
           (≦・ω・≧) 
                  
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                    (´・ω・`) 
                       (o‘ω‘ n) 
                         (●▲●)   (o^^o) 
                             U・ω・U   ('ω`) 
                                       ( `o´) 
Next Time 22:00.                                ☆ 


(*^◯^*)<今日は日本と東南アジアの豆知識からなんだ!
235:2015/03/18(水)22:15:43 ivN
1901年 


(´・ω・`)「もう…だめ…」 


”強制栽培制度”はジャワ島農耕地の生産力を上げ、ジャワ島の人口を増加させました。 
しかしジャワ島の農民たちの窮迫ぶりは以前にも増して酷いものでした。 

農民たちを苦しめた”強制栽培制度”は、中断を挟んだものの、姿形を変え、未だに存続し続けていたのです。
236:2015/03/18(水)22:17:07 ivN
(・蘭・)「原住民が可哀相だ!原住民の福利向上をはかるべきだ!」 



(●▲●)「オランダ本国での反発が強くなってきたなー」 

(●▲●)「まぁ知らんけどな」
237:2015/03/18(水)22:18:30 ivN
☆「オランダはジャワ農民に対して『名誉の負債』を負い、植民地住民への倫理的責任と道徳的義務がある」 


(●▲●)「ファッ!?女王が演説!?」 

(●▲●)「しゃーない、教育ぐらいは受けさせたるわ」 


オランダ本国の批判の声が高まり、オランダ女王ウィルヘルミナの演説を経て、 
『倫理政策』と呼ばれる政策がとられるようになりました。 

これにより初等、中等学校が新設され、医師、官吏養成学校なども設けられ、オランダの大学に留学する者も増加。 
愚民化政策で制限されていた教育の機会がようやく与えられるようになったのです。
238:2015/03/18(水)22:19:58 ivN
ちなみに倫理政策の内容は 1.キリスト教の布教 2.権力分散 3.住民への福祉 4.教育 です。 

権力分散は植民地政府への権限委譲であり、現地民への権限委譲ではありません。 
住民への福祉も、搾取の度合いから見れば雀の涙ほどです。 
イスラム教が主流のインドネシアでキリスト教を布教すれば、それは分断統治の側面を持ちます。 
現地民が唯一実感できたのは教育だったと言えます。
239:2015/03/18(水)22:21:34 ivN
・『名誉の負債』について 

紳士ならば、例え義務はなくとも道徳的に支払うものである――。 


例: 
(●▲●)「よっしゃ!またワイの勝ちや!」 

(´・ω・`)「うぅ、もう一文無しだよ。どうやって家に帰ろう…」 

(●▲●)「なんや、しゃーないな。帰りの電車賃ぐらいは恵んでやるで」 

(●▲●)「ワイは勝者やからな、紳士ならそれくらいは当たり前やろ?」 


散々甘い汁を吸っておいて「『名誉の負債』だから恵んでやる」というところが実に植民地帝国らしいです。
240:2015/03/18(水)22:22:57 ivN
・豆知識『オランダ留学生』 

”倫理政策”導入後、優秀な原住民学生にはオランダ留学のチャンスが与えられました。 
留学生はヨーロッパの近代主義に触れ、母国の実体を知り、やがて民族意識を自覚することとなります。 

植民地内ではほとんど口をきく機会のない民族同士。 
彼らに「同じ植民地民である」という連帯感が生まれたのは、オランダの学生街の下宿、その屋根裏部屋でした。 
この連帯感もやがて、インドネシアの民族意識へと拡大していくのでした。
241:2015/03/18(水)22:24:35 ivN
1908年 

( ・`ω・´)「オランダ留学から戻ってきたよ」 

( ・`ω・´)「ところでぼくたちの故郷はいつまで植民地なんだろう?」 

( ・`ω・´)「同じ国の中なのに言葉はバラバラだし」 

( ・`ω・´)「そろそろぼくたちは『インドネシア』としてオランダから独立するべきじゃないか?」 


植民地の原住民に許された最高位の職業は”医師”でした。 
しかし医学を修める彼らは、次第に植民地社会という病巣そのものを意識するようになります。 
最優秀の原住民青年が集う医師養成学校は、多くの民族主義者を育てるゆりかごになりました。
242:2015/03/18(水)22:25:50 ivN
医師ワヒディン。 
彼は奨学金制度の必要性を呼びかけ、王室や貴族に賛同者を得ました。 

そんなワヒディンの影響を受け、青年医学生ストモはある組織を結成します。
243:2015/03/18(水)22:27:25 ivN
1908年5月20日。 

教育を受けた知識人が中心となり、ジャワ島で初めての民族主義団体『ブディ・ウトモ』が結成されます。 
”ブディ・ウトモ”とは『最高の英知』の意。 
教育による社会的地位の上昇を目的とし、この日、第1回大会を開催しました。 

”ブディ・ウトモ”は文化活動に重点を置く一方、宗教的・政治的活動はなく、 
大衆的基盤もなく、ジャワ人上層階級のみが対象だったため、会員数は最大の時でも1万人を越えませんでした。 


そんな”ブディ・ウトモ”の結成日ですが、後にこの日は『民族覚醒の日』として祝日に定められます。 
オランダの船団がインドネシアに着いたあの年から300年。 
過酷な植民地支配下に耐え続けた東インド諸島の原住民たち。 
彼らに遂に民族意識が芽生えた、これはその最初の日なのです。
244:2015/03/18(水)22:28:49 ivN
【番外編:日露戦争】
245:2015/03/18(水)22:30:11 ivN
外国関連で唯一思い出すことは、5歳の頃に父と見た雑誌の写真についてである。 

その写真は乃木将軍と東郷元帥の像であった。 

アジアの小国でさえ、ヨーロッパの大国に打ち勝てる。 

その戦争はそれを示していた。 

日露戦争はアジア人を眠りから呼び覚ました。 

アジアとインドネシアのその後の政治発展の中で、 

日本の勝利は計り知れないほど大きなものがあった。 


 民族主義者:イワ・クスマ・スマントリ、自伝『インドネシア民族主義の源流』より
247:2015/03/18(水)22:31:34 ivN
日本の水雷艇による奇襲で始まった日露戦争。 
日本の攻撃により次々と艦が沈み、次第にロシアの太平洋艦隊は戦力を失いつつありました。 

そこでロシアはバルト海艦隊の主力を引き抜き『第二太平洋艦隊』を編成。 
更にバルト海艦隊残留艦から第三太平洋艦隊を編成。極東へ送り出しました。 
これらが日本で『バルチック艦隊』と呼ばれる艦隊です。 


この結果、ロシア艦隊は条約により黒海から出られない黒海艦隊を除いた、 
そのほぼ全ての艦隊を日露戦争に動員することになりました。
248:2015/03/18(水)22:33:04 ivN
1904年4月。 

(´・ω・`)「あれが世界最大、最強のバルチック艦隊…」 

(´・ω・`)「あんなのにやられたらひとたまりもないよ…」 

(´・ω・`)「日本も不憫だね…」 


マダガスカル島沖で集結したバルチック艦隊は、マラッカ海峡を威風堂々と通過します。 
港からバルチック艦隊を眺めた人々は、この艦隊の的になる東洋の小国、その運命に胸を痛めました。
688:2015/04/11(土)22:27:11 Nvh
>>248 
こういう歴史の点と点が繋がる演出すき 
にくいねぇ
249:2015/03/18(水)22:34:35 ivN
1904年5月28日。 

(´・ω・`)「えっ、バルチック艦隊が壊滅!?」 


対馬海峡にて。 
日本はロシアのバルチック艦隊に完勝しました。 

バルチック艦隊の損害は沈没21隻、拿捕されたものが6隻。 
他に6隻が中立国に逃亡し、ロシアのウラジオストクへ到達できたのは僅か3隻のみでした。 
戦死4830名、捕虜6106名。捕虜には二人の提督も含まれます。 

一方の日本軍は、駆逐艦1隻の大破、水雷艇3隻の沈没、主力艦は中破すらほぼ無し。 
戦死117名、戦傷583名と非常に軽微な損失であり、 
大艦隊同士の艦隊決戦としては、史上稀に見る一方的な勝利でした。 

『日本海海戦』、又は『対馬沖海戦』と呼ばれるこの海戦。 
当時世界最大・最強レベルと思われていた巨大艦隊が忽然と消滅したこの海戦は、 
日本の同盟国イギリスや、仲介国アメリカすら驚愕させました。
251:2015/03/18(水)22:36:09 ivN
ヨーロッパ人がアジア人を支配するこの植民地構造。 
これは当時の”ダーウィンの進化論”により、『優者=白人』『劣者=有色人』という理屈で正当化されていました。 

しかし日露戦争でのアジア人・日本による勝利。 
これは白人優者神話を根底から打ち崩すものでした。 

東南アジアの民主主義者は大きな衝撃を受け、後に前述のような記述を残しています。 
インド首相ネルーの自叙伝にも同様の記述があるようです。 

日露戦争における日本の勝利は、東南アジアの各国に大きな影響を与えました。
252:2015/03/18(水)22:37:42 ivN
そんな中、インドネシアでは一つの予言が注目されます。 
”ジョヨボヨの予言”。 
その中に出てくる”黄色い人間”とは日本人のことではないか? 
日露戦争で日本が勝利すると共に、そんな日本待望の噂が広まるのでした。 


インドネシア・民族覚醒の日、ブディ・ウトモの結成。 
それは日露戦争の3年後、1908年のことでした。 


【番外編:日露戦争 完】
254:2015/03/18(水)22:38:45 LZB
ロシア側5000人近く死んだのか… 
捕虜6000人てのも凄い数だな
270:2015/03/18(水)22:59:58 ivN
>>254 
・小豆知識『日本海海戦の捕虜』 

ロシアの6000名以上の捕虜は、その多くが艦の沈没により海に投げ出されたものの、日本軍の救助活動によって救命されました。 
また、対馬や日本海沿岸に流れ着いたものの多くは、各地の住民によって保護されました。 

国際社会に「文明国である」とアピールするために、日本は戦時国際法に忠実でした。 
そのため、戦時法遵守が末端の小艇水兵にまで徹底されました。 

当時の日本国民は戦時財政下の中で困窮に耐えていましたが、 
ロシア兵の捕虜は、その中でも十分な治療と食事を与えられ、健康が回復し次第帰国したそうです。 
軍法会議での処罰を恐れる士官は日本に留まることもできました。 

日本の戦時国際法の遵守。これには世界各国から賞賛が寄せられたそうです。
255:2015/03/18(水)22:39:06 ivN
・豆知識『仁丹』 

かつて、東南アジアで日本を象徴する商品は『味の素』でした。 
しかし太平洋戦争以前、日本を象徴する商品は『仁丹』でした。 

仁丹は薬用効果による人気もありました。 
しかしその隠れた任期の秘密は、その包装紙でした。 

髭を生やした軍医の絵。 
東南アジアの民衆は、日露戦争で白人を破った日本軍人を、その包装紙で見つけたのでした。 

更に人々は”Jintan”という略語に 
「Jenderal Ini Nanti Torong Anak Neguri」(この将軍はやがてわが住民を助けるであろう) 
という意味付けを施し、更に人気が高まったのでした。 

ちなみにこの略語。”NIPPON”にも同じことがされ、 
「Nanti Indonesia Perang Pula Orang Nederland」(インドネシアはオランダ人と戦うだろう) 
という意味付けが施されたのでした。
256:2015/03/18(水)22:40:20 ivN
【おまけ:バルチック艦隊】
258:2015/03/18(水)22:41:32 ivN
1905年5月28日。早朝…。 


(・露・)「第1戦艦隊、第2戦艦隊は消滅。残るは我が第3戦艦隊のみ…」 

(・露・)「しかもうちは他の戦艦隊と違って旧式の戦艦ばっかり…」 

(・露・)「あっ、日本軍に発見された」 

(・露・)「(アカン)」 

(・露・)「ど、どうしよう…」
259:2015/03/18(水)22:42:47 ivN
09時30分。 

(・露・)「そうこうしてるうちに敵の主力艦まで集まってきた」 

(・露・)「もうだめだ」 

(・露・)「一応、第1戦艦隊の生き残り戦艦”オリョール”は夜通しの復旧作業で回復させてる」 

(・露・)「第3戦艦隊の旗艦”インペラートル・ニコライ1世”も無傷だけど…」 

(・露・)「砲員が多数死傷してる上、照準器は故障して滅茶苦茶」 

(・露・)「勝てる気がしないよ」 

(・露・)「よし、降伏だ」
260:2015/03/18(水)22:44:00 ivN


10時34分。 

(・露・)「白旗だよ~(フリフリ」 


(・日・)「………」 

(・日・)「………撃て。」 

(ドーンドーン) 


(・露・)「ファッ!?」
261:2015/03/18(水)22:45:32 ivN
10時53分。 

(・露・)「………」 

(・露・)「………」 

(・露・)「………あっ」 

(・露・)「エンジン停止してなかったわ(ポチッ」 


戦時国際法に則った降伏にはエンジンの停止が必要不可欠でした。 
こうしてバルチック艦隊の降伏は無事受け入れられたのでした。 


日本海海戦でのバルチック艦隊には、このような洒落にならないドジッ子エピソードが割と確認されるようです。 


【おまけ:バルチック艦隊 完】
689:2015/04/11(土)22:30:32 Nvh
>>261 
アホの子ロシア人すこ
276:2015/03/19(木)20:56:44 q57
                (≦・ω・≧) 
                (^)'・▲・`(^) 
                ( ・`ω・´)<ごメンチ! 
                (●゚◇゚●) 
                (o‘ω‘ n) 
                (U・×・U) 
                (●▲●) 

                 Now loading... 

                (´・ω・`) 
                (*^◯^*)<今回は【前回のあらすじ】からはじまるよ! 
                U・ω・U 
                (o^^o) 
                ( `o´) 
                ('ω`) 
Next Time 22:00.      ☆
279:2015/03/19(木)22:02:31 q57


(´・ω・`)「”強制栽培制度”の負担がやば過ぎて、もう死にそう…」 

(●▲●)「しゃーない、教育を解禁したるわ」 

( ・`ω・´)「医師になるためオランダに留学するよ」
280:2015/03/19(木)22:03:53 q57


( ・`ω・´)「ここが学生街の下宿所かー」 

( ・`ω・´)「あ、こんにちは! 

(^)'・▲・`(^)「…こ、こんにちは」 

( ・`ω・´)「もしかして君も学生さん?」 

(^)'・▲・`(^)「…そ、そうだよ」 

( ・`ω・´)「そうなんだ!よろしくね!」 

(^)'・▲・`(^)「…よ、よろしく」
281:2015/03/19(木)22:05:36 q57


下宿所の屋根裏部屋。 


( ・`ω・´)「君はどこから来たんだい?」 

(^)'・▲・`(^)「…東インドのバンテン地方だよ」 

( ・`ω・´)「そうなんだ!ぼくも東インドなんだ!スラバヤの生まれなんだよ!」 

( ・`ω・´)「すごい偶然だね!」 

(^)'・▲・`(^)「そ、そうだね」
282:2015/03/19(木)22:06:58 q57


( ・`ω・´)「それにしても…」 

( ・`ω・´)「ぼくたちは違う民族ってだけで」 

( ・`ω・´)「今まで話したことすらなかったんだよね」 

( ・`ω・´)「同じ東インドの住民なのにね」 

(^)'・▲・`(^)「…そうだね」 

(^)'・▲・`(^)「そもそも使う言語が違うし…」 

(^)'・▲・`(^)「こうして留学できるほど言語の勉強をしないと」 

(^)'・▲・`(^)「話すらできないからね」 

(^)'・▲・`(^)「交流がないのも当然かも…」
283:2015/03/19(木)22:08:16 q57

( ・`ω・´)「それじゃ今回の留学はとても良い機会だね!」 

( ・`ω・´)「こうなったら夜通し語り明かそうじゃないか!」 

(^)'・▲・`(^)「う、うん。そうだね」
285:2015/03/19(木)22:09:43 q57


( ・`ω・´)「…うぅ、夜更かししたから眠いよ…」 

(^)'・▲・`(^)「ゆうべはおたのしみでしたね………zzz」 

( ・`ω・´)「…うん。やっぱり東インドは独立するべきだ!」 

( ・`ω・´)「こんなの絶対に間違ってるし!」 

( ・`ω・´)「でも民衆は未だにオランダの支配に反発する意思がない…」 

( ・`ω・´)「こうなったらぼくたちで集会を開こう!」 

( ・`ω・´)「みんなに目を覚ましてもらうんだ!」 

( ・`ω・´)「今こそ立ち上がるときなんだ!」 

(^)'・▲・`(^)「………zzz」 



【前回のあらすじ 完】
286:2015/03/19(木)22:11:11 q57
これ以降、インドネシアの民族主義運動は活発化していきます。 



1910年代:イスラム系大衆団体『サレカット・イスラム』が大規模な大衆動員に成功 

1920年代:アジア最初の共産党『インドネシア共産党』が設立。ストライキなどの労働運動を通じて植民地政府と鋭く対立
288:2015/03/19(木)22:13:47 q57
やがて、インドネシアの民族主義運動は最高潮を迎えます。
289:2015/03/19(木)22:15:09 q57


1927年。 


( ・`ω・´)「遂にぼくたちの団体、『インドネシア国民党』が始動するよ」 

( ・`ω・´)「やっと、ぼくたちの夢が叶う」 

( ・`ω・´)「ここがぼくたちのはじまりの場所なんだ」 


1927年。スカルノによって『インドネシア国民党』が結成されます。
290:2015/03/19(木)22:16:34 q57
1928年。 

オランダ領東インドの首都バタヴィア。 

第2回インドネシア青年会議。 

ここに東インド中から青年たちが集いました。
291:2015/03/19(木)22:17:55 q57


( ・`ω・´)「お集まりの皆さん、本日はお越し頂きありがとうございました」 


( ・`ω・´)「それでは最後に三つの誓いを読み上げさせて頂きます」
292:2015/03/19(木)22:19:09 q57
( ・`ω・´)「一、我々インドネシア青年男女は、インドネシアという一つの祖国をもつことを確認する。」
293:2015/03/19(木)22:20:09 q57
( ・`ω・´)「二、我々インドネシア青年男女は、インドネシア民族という一つの民族であることを確認する。」
294:2015/03/19(木)22:21:11 q57
( ・`ω・´)「三、我々インドネシア青年男女は、インドネシア語という統一言語を使用する。」
295:2015/03/19(木)22:22:19 q57
『青年の誓い』 

 『唯一の祖国インドネシア』 

 『唯一の民族インドネシア民族』 

 『唯一の言語インドネシア語』 

民族独立が掲げられ、誓いが高らかに宣言された瞬間。 


それはインドネシアの民族主義運動が最高潮を迎えた瞬間でした。 



( ・`ω・´)「本日はお集まり頂きありがとうございました。それではまた次回の会議でお会いしましょう。」
296:2015/03/19(木)22:23:46 q57
・豆知識『国歌 インドネシア・ラヤ』 

第2回インドネシア青年会議。その休憩時間。 
作曲家スプラットマンは議長に「歌を歌わせて欲しい」と懇願しました。 
そして彼は自らのヴァイオリンで初めて”インドネシア・ラヤ”を披露しました。 

演奏はアンコールの連呼に迎えら、その後もこの歌は数々の集会で歌われたそうです。 
議論が険悪になった時も、これが演奏されると途端に和やかになったとすら言われています。 

そうして、この歌はインドネシアの独立・解放を求める人々のシンボルとなりました。 


なお、この歌は後にオランダによって禁止されることとなります。
298:2015/03/19(木)22:25:56 q57
・豆知識『インドネシア』その2 

反オランダの政治団体は当然”インドネシア”という名称を積極的に名乗りましたが、 
親オランダの政治団体ですら”インドネシア”を名乗ったそうです。 

オランダの植民地政庁は”インドネシア”という用語に警戒こそしましたが、禁止はしなかったそうです。 
ですが、公式には”東インド”と”原住民”で押し通しました。 


本編を挟み、その3へ続きます。
299:2015/03/19(木)22:26:35 a74
やっぱ名前って大事だわ
300:2015/03/19(木)22:27:23 q57
しかし。 



やがて民主主義運動には暗雲が立ちこめ始めます。
301:2015/03/19(木)22:28:38 q57
”インドネシア共産党”。 
彼らの度重なるストライキは、オランダの逆鱗に触れます。 

ストライキを主導した幹部たちは次々に国外追放されました。
302:2015/03/19(木)22:29:54 q57

やがて、幹部をなくした共産党は暴走を始めます。 


( `(エ)´) 

( `(エ)´)「ストライキじゃ!ストライキじゃ!」 

( `(エ)´)「印刷工場、病院、港湾はみんなストライキするんやで!」
304:2015/03/19(木)22:31:20 q57

更に…。 


( `(エ)´)「もう我慢ならん!ワイらインドネシア共産党は武装蜂起するで!」 

( `(エ)´)「ワイらは”インドネシア共和国”を宣言するんや!」 

( `(エ)´)「手始めに国家機関の人間の住宅を襲撃するで!」 

( `(エ)´)「弾薬倉庫は片っ端から爆破じゃ!」 

( `(エ)´)「あ、共産党に報酬の2/3を上納するなら集団強盗も認めるで」 

( `(エ)´)「襲え襲え!革命じゃ!」
305:2015/03/19(木)22:32:54 q57
( `(エ)´)「フハハ!これからはワイらの天下じゃ!」 





(●▲●)「アカンなぁ」 

( `(エ)´)「あっ」 

(●▲●)「これはアカンよなぁ」 

(●▲●)「粛正やろなぁ」 

( `(エ)´)「」 


共産党はジャカルタ刑務所、郵便局の占拠に失敗。 

共産党の武装蜂起は瞬く間に鎮圧され、逮捕者13000人、投獄者4000人を出し、指導者1300人が流刑に処されました。
306:2015/03/19(木)22:34:05 q57
そして…。 


(●▲●)「少しおいたが過ぎたなぁ」 

(●▲●)「これは運動自体を取り締まらんといかんやろなぁ」 

(●▲●)「当然、指導者は全員逮捕やろなぁ」 

(●▲●)「二度と変な気起こさんよう、拷問せなアカンやろなぁ」 


オランダは全ての民族主義運動を非合法化しました。
307:2015/03/19(木)22:35:36 q57
1929年12月29日。 


(●▲●)「一斉検挙じゃ!国民党の幹部は片っ端から逮捕や!」 

( ・`ω・´)「ファッ!?」 

(●▲●)「あんさん、ちょ~っとやりすぎたなぁ?」 

(●▲●)「謝っても許さへんで?」 

(●▲●)「覚悟しいや」 

( ・`ω・´)「そ、そんな!」 

( ・`ω・´)「これは不当逮捕だ!裁判で訴えてやる!」 

(●▲●)「ま、続きはム所で聞くさかい」
308:2015/03/19(木)22:36:36 q57
国民党を結成したスカルノ、ハッタといった運動家は全て逮捕、拷問され、やがて流刑となりました。 



こうして、インドネシアの民主主義運動は終焉を迎えてしまったのでした。 


 『インドネシア独立運動編 完』
314:2015/03/20(金)20:58:28 59K
                                         ☆ 
         ((((●▲ ) 
     (((●゚◇゚) 
            (((( ≦・ω) 

                    ,===,====、 
                   _.||___|_____||_ 
..               ∧_∧  /||___|^ ∧_∧ 
..               (・ω・`)//||   |口| |ω・´ ) 
.             ./(^(^ .//||...||   |口| |c  ) 
.....            ∧_∧ / //  ||...||   |口| ||し 
.......        (^◯^*) //....  ||...||   |口| || 
         /(^(^ // (U・×.||...||   |口| || 
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 :: ,, ::::: ,, ; ̄ ̄ ̄  "、 :::: " ,, , :::  (   )" ::::  "(ω・U ) 

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Next Time 22:00.                     Next Stage ??????.
316:2015/03/20(金)22:00:13 59K
【幕間】
317:2015/03/20(金)22:01:44 59K
舞台はヨーロッパ。 


(=◎ω◎=) 

(=◎ω◎=)「我がドイツは第一次世界大戦で敗戦国になってもたんや」 

(=◎ω◎=)「巨額の賠償金にもめげず何とか復帰しつつあったんやけど…」 

(=◎ω◎=)「世界恐慌…ここでそれは(アカン)」 

(=◎ω◎=)「こうなったらもう独裁政治や!反感?知らん!」
318:2015/03/20(金)22:03:18 59K
1939年 

(=◎ω◎=)「隣国ポーランドに侵攻するで!要求を無視した罰や!」 

(U・×・U)「ファッ!?そんなんポーランド同盟国のワイらイギリス・フランスが黙ってへんで!?」 

(=◎ω◎=)「知るかボケ!戦争じゃ!!」 


第二次世界大戦が始まりました。
319:2015/03/20(金)22:04:54 59K
さて。 



彡(゚)(゚)「お?」 



その頃の日本。
320:2015/03/20(金)22:06:26 59K
その頃、日本は日中戦争の真っ最中でした。 


彡(^)(^)「原住民はボコーで」 

彡(^)(^)「鉄道はドカーンで」 

彡(゚)(゚)「あれ?もしかして今ワイだけ?」 


満州国建国などで国際的に孤立していました。
321:2015/03/20(金)22:07:58 59K
彡(゚)(゚)「アカン、時代に取り残される、どないしよ…」 

彡(゚)(゚)「お、ドイツが戦争?よっしゃ!」 

彡(^)(^)「世界的やからね、乗るしかないで!このビッグウェーブに!」 


そこで日本はこの大戦の流れに乗ることにします。
322:2015/03/20(金)22:09:29 59K
1940年 


彡(^)(^)「同盟結ぶやで~」 

(=◎ω◎=)「せやな」 
  _、_ 
( ,_ノ` )「俺達に任せておけ」 


ドイツ、日本。そしてイタリアによって『日独伊三国軍事同盟』が結成されます。 
イタリアも当時はドイツ同様に独裁政治に走っていたのでした。
323:2015/03/20(金)22:10:51 Wxx
一番下炎上しそう
324:2015/03/20(金)22:11:00 59K
彡(^)(^)「これで時代の流れに取り残されずに済んだわ」 

彡(^)(^)「一安心やな」 


同盟を結んだ日本。 
しかし遠いヨーロッパの2国と同盟を結んでも実質的効果はなく。
325:2015/03/20(金)22:12:31 59K
(☆●●●●)「ほ~ん、そういうことするんだ…」 




寧ろ、イギリスの支援国アメリカの怒りを買うことになってしまいました。
326:2015/03/20(金)22:14:01 59K
(☆●●●●)「じゃ、もう日本へは輸出しないから」 

彡(゚)(゚)「ファッ!?」 


怒ったアメリカは日本に経済制裁を加えようとします。 
それは「日本への石油・燃料・鉄類の輸出禁止」というものでした。
327:2015/03/20(金)22:15:30 59K
彡(゚)(゚)「ちょ、ちょっと待っちくり~」 

彡(゚)(゚)「ワイら日本は物資に乏しい国や」 

彡(゚)(゚)「せやから戦争に必要な燃料もほとんど輸入しとるんやで」 

彡(゚)(゚)「しかも、石油・鉄類は70%以上をアメリカさんから輸入しとるんやで!?」 

彡(゚)(゚)「え、なに。それが全て途絶えるん…?」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡()()「」 


『石油の一滴は血の一滴』。戦争では燃料が勝敗に大きく影響します。 
日本は日中戦争の真っ直中です。それは正に死活問題でした。
328:2015/03/20(金)22:17:02 59K
1941年4月 

彡(^)(^)「悪かったわ、そんなつもりやなかったんや」 

彡(^)(^)「な?な?機嫌治しちくり~」 

(☆●●●●)「………」 


日本は何とかアメリカの怒りを静めようと努力します。 
1941年4月にはワシントンで交渉を開始しました。
329:2015/03/20(金)22:18:35 59K
しかしその一方で。 


彡(゚)(゚)「ベトナムや!サイゴンへ軍を進めるんやで!」 

彡(゚)(゚)「石油や!ゴムや!資源が必要なんや!」 

彡(゚)(゚)「足りんくなってからじゃ遅いんじゃ!はよ進まんかい!」 


日本陸軍は石油・ゴムなどの資源を求め、ベトナムのサイゴンへ軍を進めます。
331:2015/03/20(金)22:20:06 59K
そのサイゴンですが。 

何と、アメリカ領フィリピン、イギリス領シンガポール、オランダ領インドネシアなど。 

その『全て』を攻撃できる場所でした。 



(☆●●●●)「」 

彡()()「」 


遂にアメリカは経済制裁を発動。 
更にアメリカの日本人資産を全て凍結させてしまいました。
332:2015/03/20(金)22:21:37 59K
1941年9月 


(☆●●●●)「中国からの全軍撤退」 

(☆●●●●)「三国同盟廃棄」 

(☆●●●●)「中国・満州を満州事変以前に戻す、などなど…」 

(☆●●●●)「これが最後の提案だ」 

彡(゚)(゚)「ファッ!?そんなん飲める訳ないやろ!?」 


アメリカから最後の提案。 
それは日本としては到底飲めるものではありませんでした。
334:2015/03/20(金)22:23:07 59K

彡(゚)(゚)「アカン、もうどないしたら…」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………………」 

彡(゚)(゚)「………………………」 

彡(^)(^)「………せやな(ニッコリ」
335:2015/03/20(金)22:23:39 59K
1941年10月 

首相・東条英機が就任。
336:2015/03/20(金)22:24:41 59K
1941年12月 




(●●●●●●●●●●●●●●●●●●)「真珠湾を攻撃する」 




海軍大将・山本五十六により真珠湾の攻撃命令が下され。 

太平洋戦争が始まりました。 



 『幕間:太平洋戦争開戦 完』
367:2015/03/25(水)20:31:20 sbn
  ☆ 


                   (・◇・ )))) 


     ,へ^;,ヘへ、 
     ´ ^^i1^v~ヽ     /| 
        !|i  ∧_∧  /  | 
        ||゚ (´・ω・)/   | 
      ___」L (ヽクク     | 
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                   [ Now loading...] 

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368:2015/03/25(水)21:00:25 sbn
※ここから先は彡(゚)(゚)の酷使が目立つようになります 
複数キャラクターを演じているので注意して読んで下さい 
手持ちの顔文字が少なくなってきたので、顔文字全体の使い回しも増えるかもしれません
369:2015/03/25(水)21:01:45 sbn
【第3章】
370:2015/03/25(水)21:03:04 sbn
インドネシアのジャワ島。 


(´・ω・`)「また世界中で戦争が始まったみたいだねー」 

( ・◇・)「みたいだねー」 

(´・ω・`)「まぁぼくらには関係ない話だけどね」 

( ・◇・)「だねー」 

( ・◇・)「あ、でもねー」 

( ・◇・)「こっちの方にも日本軍がやってきたらしいよー?」 

(´・ω・`)「ふーん、そうなんだー?」 


大東亜戦争(太平洋戦争)が始まり、 
インドネシアにも日本軍がやってくるらしい、という噂が流れ始めたある日のこと。
372:2015/03/25(水)21:04:25 sbn
(´・ω・`)「今日も畑できうり…じゃなくてサトウキビを育てないと…」 

ゴウンゴウン 

(´・ω・`)「あれ?何か聞こえたような?」 


ゴウンゴウン 

ゴウンゴウンゴウンゴウン 

ンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴン 
ンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
373:2015/03/25(水)21:05:50 sbn
上空から響き渡る爆音。 
原住民たちが見上げた空の彼方には、青の中に幾つも咲く白い花と、 



(´・ω・`)「あれは……日本兵!?」 


彡(゚)(゚)「せやな」 



落下してくる戦士たちの姿がありました。 
それは日本軍による落下傘兵でした。
374:2015/03/25(水)21:07:05 EL6
ンゴンゴの効果音に草生える
375:2015/03/25(水)21:07:16 sbn
当時の日本は不足した資源を確保する必要がありました。 
しかし平和的交渉は失敗。 
そのため、太平洋上の島々へ怒濤の勢いで侵攻していたのです。 
東インドには大量の石油と飛行機の原料・ボーキサイトがありました。 

1942年1月11日に始まったこの『蘭印作戦』。 
1月11日:タラカン島タラカンとスラウェシ島メナド 
1月25日:ボルネオ島バリクパパン 
1月31日:アンボン島アンボン 
2月14日:スマトラ島パレンバン 
2月19日:バリ島とチモール島 
と快進撃を続けた日本軍。 

そして3月1日。とうとう最終目標のジャワ島に上陸したのでした。
376:2015/03/25(水)21:08:40 sbn
当時、ジャワ島にはオランダ軍、オーストラリア軍、イギリス軍、アメリカ軍の合計約10万人がいました。 
これに対し、日本軍がジャワ島へ送り込んだのは4万人でした。 

(●▲●)「ワイらも海戦ならそこそこ行けるんやで~」 

海戦ではかなりの抵抗を見せたオランダ軍。 
しかし、一旦日本軍に上陸を許すと…。
377:2015/03/25(水)21:10:08 sbn
(・蘭・) ざわ…ざわ… 

(●▲●)「なんや、どないしたんや」 

(・蘭・)「大変です、日本軍の兵力は20万人だそうです!」 

(●▲●)「ファッ!?なんやて!?」 

(●▲●)「アカン、勝てる気せーへん」 

(U・×・U)「………インドに逃げよ」 


オランダ軍司令官の上位、イギリスの連合軍総司令官はインドへ逃亡しました。
378:2015/03/25(水)21:11:38 sbn

~♪~♪ 

(●▲●)「な、なんや!この音楽は!」 

(´・ω・`)「…あ、あれは! 

(´・ω・`)「まさか、”インドネシア・ラヤ”!?」 

(´・ω・`)「独立と解放を象徴する歌!」 

(´・ω・`)「日本軍はぼくたちを解放しに来てくれたんだ!」 

(●▲●)「お、おい!何しとんのやお前ら!やめるんや!」 


彡(゚)(゚)「来たやで~」 

(´・ω・`)「日本軍のみなさん!ご飯や果物を用意しておきました!」 

(´・ω・`)「我々原住民は、みなさんを歓迎します!」 

彡(^)(^)「お!サンキューやで~」
379:2015/03/25(水)21:13:02 sbn
(●▲●)「くそっ!ひとまず進軍を止めるために道路を封鎖するんや!」 

(●▲●)「その辺の木でも切り倒しとけ!」 

(・蘭・)「は、はい!分かりました!」 



(´・ω・`)「日本軍のみなさん!道路に転がってた邪魔な木はどけておきました!」 

彡(^)(^)「お!サンキューな~」 

(●▲●)「ファッ!?」
380:2015/03/25(水)21:14:31 sbn


彡(゚)(゚) 彡(゚)(゚) 

(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) 
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (*^◯^*) (´・ω・`) (´・ω・`) 
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) 


(●▲●)「………ア、アカン」 

数万人にしか過ぎない日本軍。 
しかしオランダ軍は、その背後に控える何千万人ものインドネシア人を見てしまったのです。
381:2015/03/25(水)21:16:02 sbn
落下傘部隊、銀輪部隊は物凄い速度で進撃します。 

8日。バンドンで包囲されたオランダ軍は停戦を申し出ます。 

そして9日。オランダのボールテン最高司令官によって、無条件降伏の命令がラジオで全軍に伝えられます。 


僅か9日。日本軍はたったそれだけの期間でジャワ島の連合軍を降伏させ、 
これにより、インドネシア全土の完全制圧を成し遂げてしまったのです。
382:2015/03/25(水)21:17:34 sbn
(´・ω・`)「ぼくたちが350年間も敵わなかったオランダ人を僅か9日で駆逐するなんて…」 

(´・ω・`)「…『天から白い布をまとって降りてくる』、そういえば予言にはそんなことも書かれていた…」 

(´・ω・`)「まさかあれが予言にあった伝説の黄色い人…!?」 


オランダによる350年の東インド支配は終わり、それは正に予言の実現そのものでした。 



(´・ω・`)「どう見ても黄色いし…」 

彡(゚)(゚)「ん?」
383:2015/03/25(水)21:18:55 sbn

1941年6月。日蘭会商決裂。 


(・日・)「オランダと戦争になるんだってよ」 

(・日・)「この東インドももうやばいらしい」 

彡(゚)(゚)「おう、さっさとジャワ島から引き上げるんやで~」 

約5000人の日本人がジャワ島から引き上げを開始しました。
384:2015/03/25(水)21:20:15 sbn
1941年12月。太平洋戦争開始。 


(●▲●)「お前ら日本人は敵国人じゃ」 

(●▲●)「当然逮捕なんやで(ニッコリ」 

(・日・)「ヒェッ…」 

残っていた日本人は全て敵国人として植民地政庁に逮捕され、オーストラリアキャンプに抑留されました。 
オランダの日本人に対する扱いはとても酷かったそうです。
385:2015/03/25(水)21:21:40 sbn
彡(゚)(゚)「ワイの友人も捕まってもた」 

彡(゚)(゚)「助けに行かんと(使命感)」 

彡(゚)(゚)「ワイも軍に参加するで!」 

先に引き上げていた日本人は、ジャワ占領軍に従軍。 
再びジャワ島へ戻ってきました。
386:2015/03/25(水)21:23:01 sbn
彡(゚)(゚)「ここや!この道や!ここを進むんや!」 

彡(゚)(゚)「お、原住民やんけ!情報ありがとな!」 

彡(゚)(゚)「急ぐんや!なんとしてでも助けるんやで!」 

トコ・ジュパンの亭主たちは尖兵となりました。 
彼らはジャワの言葉、習慣に明るく、軍属として重宝されました。
652:2015/04/09(木)22:38:13 6Xh
>>386 
1942年2月 

三浦は軍の随伴員として、再びバリ島に戻ってきました。 


彡(゚)(゚)「この戦争はバリ島は勿論、アジア10億人の解放運動なんや!」 

彡(゚)(゚)「インドネシアは必ず日本軍の力で独立させる!」 

彡(゚)(゚)「日本は決して嘘は言わん!信じてくれや!」 

(●゚◇゚●)「日本軍は怖いけど…」 

(●゚◇゚●)「三浦さんがいるなら、信じてみようかな…」 


三浦は現地の王族たちを集めて演説し、バリ島の人々を安心させました。
387:2015/03/25(水)21:24:21 sbn
そしてジャワ島占領後、彼らは…。 


彡(^)(^)「ワイは特権地位やからな!多少の悪さは見過ごされんねん!」 

彡(^)(^)「さーて、稼ぐで~」 


特権地位を悪用して悪徳を重ねた者。 


彡(゚)(゚)「なんや、日本軍に話があるんか?」 

彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイが手を貸したるわ」 


日本軍と住民との間に立ち、住民に感謝された者。 
彼らには様々な人間がいました。 


本編を挟み、その7へ続きます。
388:2015/03/25(水)21:25:42 sbn
さて。 
ジャワ島含む東インド全域の占領に成功した日本軍。 

彼らは広い東インドの領地を、陸軍と海軍の管轄に分けることにしました。 
ジャワ島とスマトラ島は陸軍が支配し、それ以外は海軍が支配したのです。 
また陸軍の中でも、ジャワ島を第16軍、スマトラ島とマレー半島を第25軍に振り分けました。 
東インドの3極分割統治です。
389:2015/03/25(水)21:27:03 sbn
話は少し前に遡り。 

物語の最重要人物の一人を紹介します。
390:2015/03/25(水)21:28:24 sbn
彡(゚)(゚) 

中将・今村均。 


陸軍・第16軍軍司令官。 

『蘭印作戦』、蘭印攻略を任された人物です。
391:2015/03/25(水)21:29:45 sbn
3月1日。 


彡(゚)(゚)「バンテンからジャワ島へ上陸や!」 

(●▲●)「そうはさせへん」 

彡()()「ほげっ」 

バンテンから上陸しようとした今村の船が、オランダによって沈められてしまいました。
431:2015/03/27(金)21:55:18 5jc
>>391 
・今村中将が乗っていた船の沈没原因 

重巡洋艦”最上”の放った九三式魚雷。 

これが敵艦”ヒューストン”に空振り。 
結果、魚雷は直進を続け、遂に味方の輸送船団に到達。 
輸送船2隻、病院船1隻、掃海艇1隻。 
更に世界初の揚陸艦、今村が搭乗する陸軍特種船”神州丸”を見事撃沈したのでした。 

特に日本軍の虎の子的存在だった”神州丸”が撃沈されたことは大きく、 
第16軍司令部は上陸前にあわや全滅という危機に陥りました。 

この事件により無線機や暗号表は海没。 
約100名が死亡し、中部・東部に上陸した別動部隊への指揮が5日間も不能になるという大損害を被りました。 

後に海軍の誤射という大失態が判明した際、 
海軍指揮官の謝罪を今村は快く受け入れ、更に同士討ちの事実隠蔽を提案したといわれます。 
結局、帝国陸軍はこの事件を不問に処し、海軍への責任追及も行いませんでした。 

なお、後の陸軍による”神州丸”サルベージ中、『九三式』の刻印付き魚雷破片が船倉より発見されます。 
陸軍はこれを港湾内に投棄。無事、証拠隠滅が成されました。
392:2015/03/25(水)21:31:04 sbn
彡(゚)(゚)「海に投げ出されたなう」 

彡(゚)(゚)「漂流中なう」 

彡(-)(-)「………」 

彡(゚)(゚)「…アカン、もう3時間や」
393:2015/03/25(水)21:32:31 sbn
彡(゚)(゚)「はー、疲れた。やっと陸地に着いたで」 

彡(゚)(゚)「幸い犠牲者はほぼなしやな、無線機は駄目になったけど…」 


(´・ω・`)「あれは…日本兵!?」 

彡(゚)(゚)「ファッ!?見つかった!?」 

(´・ω・`)「ようこそ、ジャワ島へ!」 

彡(゚)(゚)「!?!?」 


この作戦が始まるまで、今村は中国の泥沼の戦いの中にいました。 
それは住民から敵視され続ける中での戦闘。 
敵地で周りに敵しかいないのは当然のことでした。 

そんな今村が、初めて敵地で原住民に歓迎されたのでした。
394:2015/03/25(水)21:34:02 sbn
東インド全域の占領後。 
ジャワ島は中将・今村均率いる第16軍の管轄になります。 


彡(゚)(゚)「ここの原住民はええ奴ばっかりやな…」 

彡(゚)(゚)「そんな原住民たちの期待を裏切るなんて真似、ワイにはでけへん」 

彡(゚)(゚)「ワイは”融和政策”でこの地に挑むで」
395:2015/03/25(水)21:35:24 sbn

( ・`ω・´)「もう幽閉されて何年になるんだろう…」 

( ・`ω・´)「何か外が騒がしいけど、ぼくらの現状は変わらない…」 

( ・`ω・´)「青空が見たいなぁ…」 

彡(゚)(゚)「せやな」 

( ・`ω・´)「ファッ!?」 

彡(゚)(゚)「ちょっと話がしたいんやけど、ええかな?」 

( ・`ω・´)「え、えぇ。どうぞ。」
396:2015/03/25(水)21:36:45 sbn
彡(゚)(゚)「ワイはお前ら民主主義運動家を解放したいと思っとる」 

( ・`ω・´)「え?」 

彡(゚)(゚)「そんでな、お前らに治世の協力をしてもらいたいんや」 

彡(゚)(゚)「資金や物資の援助もしたるし、優秀な原住民は軍政府の高官にも登用したる」 

彡(゚)(゚)「ワイは裏切らん、これはワイとお前との約束や」 

( ・`ω・´)「…分かった、君を信じるよ」 

彡(^)(^)「(ニッコリ」 


今村は、幽閉されていたスカルノに協力を求め、スカルノはそれに応じました。 

政治犯として幽閉されていた民主主義運動家は解放され、 
今村とスカルノの間には固い絆が生まれたのでした。
397:2015/03/25(水)21:37:46 sbn
(●▲●)「民主主義運動家は解放されて、入れ替わりに俺らが牢獄行きか…」 

(●▲●)「しかし何だ?この豚小屋は」 

(●▲●)「こんなことになるなら、もっとまともな牢獄を造っておけばよかったぜ…」
398:2015/03/25(水)21:39:14 sbn
それから…。 


彡(゚)(゚)「石油精製施設を復旧したからオランダ時代の半額で一般に売り出すで~」 

彡(゚)(゚)「オランダ軍から没収した金で学校を建設したで~」 

彡(゚)(゚)「日本兵諸君。略奪とかの不法行為は厳禁やで」 

彡(゚)(゚)「治安維持に努めるんやで~」 


彡(゚)(゚)「なんや、オランダ人の民間人も残っとんのか…」 

彡(゚)(゚)「まぁ軍属でないなら住宅地に住んでええで、外出も認めるわ」
399:2015/03/25(水)21:40:34 sbn
やがて戦争が進み、日本では衣料が不足し配給制となります。 


(●●●●●●●)「日本で白木綿が足りん」 

(●●●●●●●)「今村、ジャワ島の白木綿をこっちによこせや」 

彡(゚)(゚)「…そんなん言われても無理ですわ」 

彡(゚)(゚)「原住民の生活が圧迫されますし…」 

彡(゚)(゚)「それにこっちの白木綿は死者の埋葬に使うんですわ」 

彡(゚)(゚)「宗教心を傷付けるのは不味いんですわ…」 

(●●●●●●●)「は?お前軍政府に逆らうんか?」 

彡(゚)(゚)「い、いえ、そんなことは…」
400:2015/03/25(水)21:41:55 sbn

(●●●●●●●)「おう、ちょっと現地に調査に行けや」 

(●●●●●●●)「場合によっては今村飛ばしたるわ」 

(・日・)「はい、分かりました」 




(*^◯^*)「今村さんはとてもいいひとなんだ!」 

(*^◯^*)「これなら独立も夢じゃないんだ!」 

(・日・)「………」
401:2015/03/25(水)21:43:15 sbn
(・日・)「原住民は日本人にとても親しみをよせています」 

(・日・)「オランダ人は完全に敵対を断念しているようです」 

(・日・)「治安も良く、産業も復旧され、」 

(・日・)「軍需物資調達の面でも、ジャワ島の成果はずば抜けて良いです」 

(●●●●●●●)「ぐぬぬ…」
402:2015/03/25(水)21:44:34 sbn

(*^◯^*)「~♪~♪」 

彡(゚)(゚)「お、”インドネシア・ラヤ”やな?」 

(*^◯^*)「そうなんだ!オランダ時代は禁止されていた歌なんだ!」 

彡(゚)(゚)「ほ~ん…」
403:2015/03/25(水)21:45:55 sbn

(*^◯^*)「~♪~♪」 

彡(゚)(゚)「おう、原住民」 

(*^◯^*)「あ、今村さん!」 

彡(゚)(゚)「これ、持ってけ」 

(*^◯^*)「これは?」 

彡(゚)(゚)「”インドネシア・ラヤ”のレコードや、東京で作ったんやで」 

(*^◯^*)「本当!?」 

彡(^)(^)「ああ、みんなに配ってやるんやで」 

(*^◯^*)「ありがとう!今村さん!」
404:2015/03/25(水)21:47:29 sbn
彡(゚)(゚)「そういやここの首都”バタヴィア”はオランダが付けた名前やったな」 

彡(゚)(゚)「由来はオランダの旧地名か…」 

彡(゚)(゚)「もう相応しくはないわな、新しい名前考えな」 

彡(゚)(゚)「せやな……確か、古インドネシア王国の首都はジャヤカルタやったそうや」 

彡(゚)(゚)「…よし。今日からここは”ジャカルタ”や!」 

首都ジャカルタ。 
それは今村中将の統治中に改称されました。 

また、敵国後であるオランダ語は禁止され、 
インドネシア語の使用が義務づけられ普及することになりました。
405:2015/03/25(水)21:48:50 sbn
(●●●●●●●)「おう、今村」 

彡(゚)(゚)「なんや?」 

(●●●●●●●)「やっぱお前の政策は甘いわ」 

(●●●●●●●)「今からでもシンガポールみたいな強圧的政策に切り替えろや」 

彡(-)(-)「申し訳ないけど、それはできないんやで」 

(●●●●●●●)「は?」
406:2015/03/25(水)21:50:18 sbn
彡(゚)(゚)「”占領地統治要綱”」 

彡(゚)(゚)「ここには『公正な威徳で民衆を悦服させ』と書いとる」 

彡(゚)(゚)「ワイは公正にやっとるだけや」 

彡(゚)(゚)「それで民衆を悦服させとる」 

彡(゚)(゚)「何も間違いはないやろ?」 

(●●●●●●●)「ぐぬぬ、ふざけたことを…」 

彡(-)(-)「もし”占領地統治要綱”自体を改正して」 

彡(-)(-)「ワイを従わせようと言うなら」 

彡(゚)(゚)「その前にワイを免職してくれや」 

彡(゚)(゚)「方針転換するような軍には付いていけんからな」 

(●●●●●●●)「………。」
408:2015/03/25(水)21:51:43 sbn
彡(゚)(゚)「何か”八紘一宇”という言葉が誤解されとるなぁ」 

彡(゚)(゚)「侵略主義のように思われとる」 

彡(゚)(゚)「ホンマは同一家族・同胞主義って意味やのになぁ…」
410:2015/03/25(水)21:53:25 sbn
1942年11月20日。 


彡(゚)(゚)「なんや第8方面軍司令官になったわ」 

彡(゚)(゚)「昇進なんやて。ラバウルへ異動や」 

彡(゚)(゚)「……実質飛ばされたようなもんやな」 

彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイはここまでや」 

彡(゚)(゚)「後は任せたで」 


1942年のジャワ島で行われた今村中将による善政。 
それは共存・共栄を目的とした”融和政策”でした。 

今村中将のジャワ島任期は僅か8ヶ月。 
しかしそれが残したものは非常に大きく、 
後の日本ジャワ軍政の命脈を保つ事になります。
411:2015/03/25(水)21:54:27 sbn
今村中将によるジャワ島独自の政策は終わり。 

以後、ジャワ島でも各地同様、軍部の思惑通りの政策に取って代わられることとなります。 



【中将・今村均編 完】
416:2015/03/25(水)22:11:31 EtW
面白いわー 
心ある軍人もいたんやな
417:2015/03/25(水)22:43:16 s4b
人に好かれようとではなく自分に従ってこんなことできるのが素晴らしいですわ
433:2015/03/28(土)22:32:35 4ZV

                    ,===,====、 
                   _.||___|_____||_ 
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                    // //||   |口| || 
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434:2015/03/28(土)22:35:33 4ZV
彡(゚)(゚)「ワイが後任の軍司令官・原田中将やで~」 

彡(゚)(゚)「早速やけど、歌”インドネシア・ラヤ”と旗”メラ・プティ”は禁止なんやで」 

彡(゚)(゚)「これは軍の決定やから逆らったらいかんのやで~」 

(´・ω・`)「…。」 


東インドの独立を危惧した日本軍は、その象徴である歌と旗を禁止していました。 

今村中将(昇進により今村大将)の後任となった原田熊吉中将。 
彼は今村とは対照的な、軍部の意向に沿った強圧的政策を始めます。
435:2015/03/28(土)22:37:05 4ZV
彡(゚)(゚)「オラ!さっさと集まれや!」 

(´・ω・`)「わ、分かったよ、日本のおにいちゃん…」 

彡(゚)(゚)「集まったな、よし!」 

彡(゚)(゚)「宮城に向かって敬礼!」
436:2015/03/28(土)22:37:36 4ZV
彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「おい!さっさと頭を下げるんや!」 

(´・ω・`)「え!?そ、そんな…」 

彡(゚)(゚)「つべこべ言うな!この原住民が!」 

(´・ω・`)「いたっ、ぶたないで…」 

彡(゚)(゚)「馬鹿野郎!原住民の癖に口答えすんな!」 

彡(゚)(゚)「いいからさっさと頭を下げろ!」 

(´・ω・`)「うぅ、ぼくイスラム教徒なのに…」 


スマトラ島東北部、北スマトラ州メダン市中心部。 
ここには紘原神社が建設され、毎日原住民たちが集められます。 
そして彼らは全員、宮城(皇居)の方角に向かって敬礼(遙拝)させられるのでした。 

その中には当然イスラム教の原住民たちも含まれ、 
彼らが礼拝する西方の聖地メッカとは真逆の、東方向への礼拝を強要されたのです。 

頭髪は強制的に刈り込まれ、日本語も強要されたそうです。
437:2015/03/28(土)22:38:46 4ZV
彡(゚)(゚)「労務者を募集するで~」 

彡(゚)(゚)「日本のために働く勤労戦士になれるのは栄誉あることなんやで~」 

(*^◯^*)「日本のおにいちゃん、ぼくもロームシャになるよ!」
438:2015/03/28(土)22:39:56 4ZV

(・◇・)「知ってる?”ロームシャ”の話」 

(´・ω・`)「うん、なんでも炭坑に連れて行かれて死ぬまで酷使されるんだって」 

(´・ω・`)「食事もロクにもらえず、みんな次々と死んでいく最悪の環境だって…」 


彡(゚)(゚)「労務者を募集するで~」 

彡(゚)(゚)「日本のために働く勤労戦士になれるのは栄誉あることなんやで~」 

(´・ω・`)「………」 

(・◇・)「………」
439:2015/03/28(土)22:40:59 4ZV
彡(゚)(゚)「え~、労務者に応募する者が減ったので」 

彡(゚)(゚)「今日から地域毎に労務者を出してもらいます」 

彡(゚)(゚)「これは軍が決めたことです、絶対やで」
440:2015/03/28(土)22:42:08 4ZV
(・◇・)「男の人はみんな”ロームシャ”として連れて行かれちゃった…」 

(・◇・)「男手不足で農作物は不作だし、持って行かれる農作物の量も半端ない…」 

(・◇・)「これじゃオランダ時代以下だよ…」 


インドネシア史に残る悪名高い忌むべき言葉”ロームシャ”。 
”日本軍による強制労働”という意味でインドネシア語になり、教科書にも載っています。 

戦時中、ジャワ島は食料と労働力の補給基地という位置付けでした。 
”ロームシャ”は労働力不足のスマトラ島やタイ、ビルマなどに移送され、 
飛行場、道路、武器庫、防御陣地、地下兵器倉庫、鉄道建設などに従事します。 
彼らの一部は作業場で死亡し、その死因は栄養不良、病気、そして機密保持のため○害された可能性も高いそうです。 

日本側の主張では14万人~22万人。インドネシア側の主張では400万人が動員されたそうです。 
帰還できたのは7万5千人だったと見積もられ、 
動員された”ロームシャ”の多くは、戦後も帰ってきませんでした。
441:2015/03/28(土)22:43:19 4ZV
1943年5月 


彡(゚)(゚)「戦線拡大でジャワ島の兵力が足らんようになってもた…」 

彡(゚)(゚)「せやから日本軍の補助兵を募集するで~」 

彡(゚)(゚)「志願者には4ヶ月ほどの日本語教育を。」 

彡(゚)(゚)「更に2ヶ月間の軍人訓練を受けてもらうで」 

彡(゚)(゚)「試験に合格した優秀な人材だけを採用するで~」 


”ヘイホ”と呼ばれる日本軍の現地民補助兵。 
この制度が確立したことで、それまでに雇われていた現地民補助兵もまとめて”ヘイホ”として組み込まれました。 


主な業務は運転手などの補助的任務でしたが、部隊によっては”ヘイホ”に大砲操作を任せざるを得ない事態にもなっていました。 
中には部隊の配置転換により、ニューギニア戦線やビルマ戦線に従軍させられた”ヘイホ”もいます。 
彼らは戦闘に巻き込まれ、多くの犠牲者が出ました。
442:2015/03/28(土)22:44:22 4ZV
U・ω・U「衣食住の保証あり、か…」 

U・ω・U「これも独立と国軍整備の第一歩だよね」 

U・ω・U「ぼくは”ヘイホ”に志願するよ」 


当初、”ヘイホ”への志願者は多く、インドネシアでは最大50000人にも達したといいます。 
”ヘイホ”は各部隊に均等に配属され、軍全体の約1割にもなりました。 
しかし、故郷を離れ前線に投入されることが明らかになると、徐々に志願者は減っていきました。 

やがて”ロームシャ”同様、地域毎の供出人数が設定され、 
村長が”ロームシャ”になるか”ヘイホ”になるか迫る、半ば強制的な徴募になっていきました。 
そして戦後、徴用を厳しく実施した何人かの村長が村人に○害される事件が発生しました。 

彼らの従軍中の給料の2/3は強制的に”貯金”させられており、敗戦によってそれらは全て没収されました。
450:2015/03/28(土)22:52:37 4ZV
1943年 


(●●●●●●●)「ビルマとフィリピンの独立を容認するで~」 

(●●●●●●●)「南方各島には速やかに政治参与の措置を取るで~」 


(´・ω・`)「…。」
451:2015/03/28(土)22:53:40 4ZV
1943年2月 


(●●●●●●●)「来たで~」 


東条首相がジャワ島を訪問したそうです。 


(●●●●●●●)「ワイらは東インドを解放するために来たんやで~」 

(●●●●●●●)「せやから原住民も戦争に協力するんやで~」 


(´・ω・`)「…。」
452:2015/03/28(土)22:54:44 4ZV

1943年3月 


( ・`ω・´)「民衆運動の許可をお願いします」 

彡(゚)(゚)「せやなぁ…まぁ民衆を戦争に協力させられるならええか」 

( ・`ω・´)「それでは新しい民衆運動は『民衆総力結集運動』と命名させて頂きます」 

彡(゚)(゚)「せやな、好きにするとええで」 


民衆総力結集運動。(Pusat Tenaga Rakjat) 
スカルノとハッタが担ぎ出されたこの運動は、インドネシアではその頭文字を取り”プートラ運動”と呼ばれました。 


( ・`ω・´)「日本軍はこの運動を戦争に利用しようとしてるけど…」 

( ・`ω・´)「それはぼくの考えとは違う」 

( ・`ω・´)「ぼくはこの運動で東インドのみんなの民族意識を高揚させるよ」 

( ・`ω・´)「ぼくたちは何としてでも独立するんだ」
508:2015/04/01(水)21:49:10 3ME
>>452 

1944年3月 


( ・`ω・´) 

(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) 
 (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) 
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) 


(●●●●●)「最近の”プートラ”は完全に民主主義運動の温床になっとるな…」 

(●●●●●)「流石にこれ以上放置はでけへん」 

(●●●●●)「”プートラ”は解散、代わりに新しい組織を設立するで」
453:2015/03/28(土)22:55:35 4ZV
1943年5月。 


(●●●●●●●)「フィリピンを独立させるで~」 


(´・ω・`)「…。」
454:2015/03/28(土)22:56:25 4ZV
1943年8月 


(●●●●●●●)「ビルマを独立させるで~」 


(´・ω・`)「…。」
455:2015/03/28(土)22:57:26 4ZV

1943年9月 


(´・ω・`)「…ねぇ、独立は…?」 

彡(゚)(゚)「あ、そや」 

彡(゚)(゚)「ジャワ島に”中央参議院”を設立するで~」 

彡(゚)(゚)「これで原住民も政治に参加できるんやで~」 

彡(゚)(゚)「スカルノが議長に就任して、ハッタは議員になるんやで~」 

(´・ω・`)「………。」
456:2015/03/28(土)22:58:37 4ZV
1943年11月5日 


彡(゚)(゚)「日本へようこそやで~」 

(・満・) (・中・) (・比・) (・緬・) (・印・) (・泰・) 


大東亜会議。 
東条首相の主宰により、大東亜共栄圏内の各国から代表者が招待されました。 

満州国:張景恵総理 
中華民国南京政府:汪精衛院長 
フィリピン:ホセ・ペ・ラウレル大統領 
ビルマ:ウー・バー・モウ首相 
インド:自由インド仮政府首班チャンドラ・ボース 
タイ国:ワンワイタヤコーン殿下(首相代理) 
そして日本の東条英機首相が一同に揃ったのでした。 

後に彼らの多くは”日本の傀儡”として断罪されます。 
ですが、当時の彼らは皆、アジア解放の実現に誇りを持っていました。 

未だ独立が認められないインドネシアは、この会議には呼ばれませんでした。
457:2015/03/28(土)22:59:41 4ZV

1943年11月13日 


( ・`ω・´)「やっと、着いた。ここが日本かー」 

(^)'・▲・`(^)「いいからほら、さっさと行くよ」 

(^)'・▲・`(^)「今日はまだやることがあるだから」 

大東亜会議の8日後。 
ジャワ島代表スカルノと同行者ハッタは日本に招待されました。
458:2015/03/28(土)23:00:44 4ZV
( ・`ω・´)「すごい歓迎っぷりだったねー」 

( ・`ω・´)「明日は工場見学だってさ、楽しみだねー」 

(^)'・▲・`(^)「…そうだね」 

17日間の滞在中、彼らは接待漬けの毎日を送りました。 
連日の歓迎行事、昭和天皇との握手、各地の工場見学など。 
青年スカルノはそれに感激しました。 

牢獄と流刑を繰り返したスカルノにとって、日本は生まれて初めての異国。 
そして日本というアジアの小国が備える近代設備に驚きました。 


(^)'・▲・`(^)「………。」 

しかし同行者ハッタにはオランダ留学の経験がありました。 
彼にとって日本の工場見学などは、そこまで目新しいものではなかったのかもしれません。
459:2015/03/28(土)23:02:04 4ZV

( ・`ω・´)「今回はお招き頂きありがとうございました」 

彡(^)(^)「いやいや、こちらこそ楽しんで頂けて何よりなんやで」 

( ・`ω・´)「それで、インドネシアの独立の件なんですけど…」 

彡(^)(^)「……せやな、分かっとるで」 

彡(^)(^)「せやけどまだ時期が悪いんや」 

彡(^)(^)「もう暫く時間がかかるかもしれん」 

彡(^)(^)「すまんな」 

( ・`ω・´)「そうですか…」 

(^)'・▲・`(^)「………」
460:2015/03/28(土)23:03:04 4ZV
彡(^)(^)「………」 

彡(^)(^)「………」 

彡(゚)(゚)「………行ったか」 

彡(゚)(゚)「独立なぁ…?」 

彡(゚)(゚)「そんなん無理に決まっとるやん」 

彡(゚)(゚)「何のためにわざわざ東インドまでやって来たと思っとるん」 

彡(゚)(゚)「石油や、石油。東インドの石油」 

彡(゚)(゚)「フィリピンやビルマと違って、東インドの石油は重要や」 

彡(゚)(゚)「手放せるわけないやん?」
461:2015/03/28(土)23:04:04 4ZV
彡(゚)(゚)「……まぁそろそろ抑えておくのも難しいかもしれん」 

彡(゚)(゚)「ひとまず、民主主義運動が活発なジャワ島だけ」 

彡(゚)(゚)「あそこだけ独立させるのも手かもしれんな」 

彡(゚)(゚)「”東インド独立”ではなく”ジャワ島独立”」 

彡(゚)(゚)「これならスマトラ島周辺の油田はワイらのもんや」 

彡(゚)(゚)「せやから今回は”ジャワ島代表”を呼んだんや」 

彡(゚)(゚)「…まぁ、解答を出すにはまだ早い」 

彡(゚)(゚)「もう暫く、適当にはぐらかし続けるで」
462:2015/03/28(土)23:04:45 4ZV

(^)'・▲・`(^)「…なんて、思ってるんだろうなぁ」 

(^)'・▲・`(^)「スマトラ島出身のぼくにとっては面白くない話だね」 

(^)'・▲・`(^)「今回もスカルノばかりがちやほやされて、なんだかなぁ…」
463:2015/03/28(土)23:05:46 4ZV
・豆知識『ビルマ(ミャンマー)』 

1943年8月1日。ビルマの独立が宣言されます。 
”傀儡国家”とも批判されるこの国は、終戦と共に事実上の解体がなされました。 

後のミャンマー政府は”ビルマ国”との連続性を認めていません。 
しかし”ミャンマー国軍”については、1942年に創設されたビルマ独立義勇軍(BIA)を始まりとしています。
464:2015/03/28(土)23:06:43 4ZV
・豆知識『南機関』 
1941年から1942年に存在した日本軍特務機関の一つ。 
ビルマ独立運動の支援を任務とし、ビルマ独立義勇軍(BIA)の誕生に貢献しました。 

1981年4月。 
ミャンマー政府より、独立に貢献したとして南機関・鈴木敬司ら旧日本軍人7人に、国家最高栄誉の勲章が授与されています。 
彼らは今日の日本とミャンマーとの友好関係の基礎を築いたとも評価されています。
465:2015/03/28(土)23:07:44 4ZV
・豆知識『フィリピン』 
1935年。アメリカはフィリピンに独立の約束をしました。 
その流れに乗って1943年、日本はビルマと共にフィリピンも独立させます。 
”傀儡国家”とも批判されるこの国は、終戦と共に事実上の解体がなされます。 

終戦後。フィリピンは再びアメリカの植民地に戻らざるを得ませんでした。 
しかし1946年、戦前の約束がマニラ条約により果たされ、フィリピン第三共和国が再独立したのでした。
490:2015/04/01(水)21:00:24 3ME

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493:2015/04/01(水)21:30:43 3ME
1942年2月 

『蘭印作戦』 

ジャワ島上陸前、ベトナム中南部カムラン湾 

”佐倉丸”にて…。 


彡(゚)(゚)「諸君!ジャワ島は目前や!」 

彡(゚)(゚)「今こそワイらの力を見せつけてやる時!」 

彡(゚)(゚)「心してかかるんやで!」 

(・詩・)「中尉!私の情熱を詩に込めました!」 

(・詩・)「”戦友別盃の歌”!聞いて下さい!」 

彡(゚)(゚)「お!ええやん!気に入ったで!」 

彡(゚)(゚)「うおぉ!何か燃えてきたで!」 


熱血軍人、中尉・柳川宗成。 
彼は憧れのジャワ島を前に高揚していました。 

その情熱に共鳴した熱血詩人・大木淳夫は、柳川に『戦友別盃の歌』を贈ったそうです。
494:2015/04/01(水)21:32:00 3ME
ジャワ島上陸後…。 


彡(゚)(゚)「おっしゃ!ワイがバンドン一番乗りや!」 

彡(゚)(゚)「まもなく日本軍が到着するでえええええええええええ」 

彡(゚)(゚)「蘭軍め、覚悟するんやでええええええええええええええ」 


柳川は単身でバンドンに一番乗りし、日本軍が間近に迫っているとハッタリをかけました。 
オランダ軍は早々に降伏し、これによって柳川は名を上げたのでした。
495:2015/04/01(水)21:33:12 3ME
ジャワ島占領後…。 


(●●●●●)「さて、柳川中尉をどうするか…」 

(●●●●●)「戦闘中は有用だった熱血漢も、戦闘が終われば用をなさない」 

(●●●●●)「寧ろ、軍に馴染まんただの厄介者や…」 

(●●●●●)「さてさて。奴をどこに配置するか……」
496:2015/04/01(水)21:34:17 3ME
彡(゚)(゚)「提案します!」 

(●●●●●)「なんや柳川?」 

彡(゚)(゚)「参謀部別班での仕事にはもう飽きました!」 

彡(゚)(゚)「せやからワイに”道場”を開かせてください!」 

(●●●●●)「ほう?」 

彡(゚)(゚)「ジャワ島の青年たちに軍事教育を施します!」 

彡(゚)(゚)「原住民を訓練し、諜報員の育成を行います!」 

(●●●●●)「…せやな。ええと思うで」 

彡(゚)(゚)「ありがとうございます!」
497:2015/04/01(水)21:35:39 3ME
1943年1月 

ジャカルタ西郊タンゲラン 


彡(゚)(゚)「原住民諸君!ワイが教官の柳川や!」 

彡(゚)(゚)「諸君らは我々から学べる全てを学び!」 

彡(゚)(゚)「強く!正しく!同義を心得た!新しいインドネシア青年として!」 

彡(゚)(゚)「一日も早く生まれ変わってもらいたい!」 

彡(゚)(゚)「そして諸君らの手で!インドネシアを開放し!」 

彡(゚)(゚)「素晴らしいインドネシアに変革してもらいたい!」 

彡(゚)(゚)「今日からワイが諸君らの父であり!各班長を母と思うんや!」 

彡(゚)(゚)「教官は全て兄弟や!何でも相談するんやで!」 

(´・ω・`)「は、はい!分かりました!」
498:2015/04/01(水)21:36:40 3ME
『タンゲラン青年道場』。 
柳川は青年50人に対して厳しい軍事訓練を開始しました。 

軍事訓練と共に精神教育も重視され、 
祖国のための自己犠牲の尊さ、闘う勇気についてなどを。 
柳川は青年たちに徹底的に叩き込みました。 

「指導者自身が汗を流して身体を鍛える」という文化はジャワ島にはありませんでした。 
青年たちは「インドネシア人を鍛える」という柳川の熱意に応え、 
半年間、寝食を共にして語り合い、一体となって猛訓練を続けたのでした。
499:2015/04/01(水)21:37:53 3ME
1943年10月 


(●●●●●)「戦局悪化による兵力不足が深刻やなぁ…」 

(●●●●●)「”ヘイホ”の拡大も、もう限界や」 

(●●●●●)「さて、どうするか…」 

(・日・)「提案ですが、原住民による民族軍を設立してみてはどうでしょう?」 

(・日・)「既に南方軍には”東南アジア住民の武装化”が命じられています」 

(・日・)「実際、インド人による”インド国民軍”、ビルマ人による”ビルマ独立義勇軍”が作られています」 

(・日・)「これによる兵力補充はかなり大きいものと予想されます」
500:2015/04/01(水)21:39:05 3ME
(●●●●●)「せやけどなぁ…」 

(●●●●●)「奴らに武器を与えたら反乱するんじゃないか?」 

(●●●●●)「正直、かなりリスクあると思うで」 

(・日・)「…確かに、原住民たちの不満はかなり高まっています」 

(・日・)「ですが、それを解消するためにも、彼らに軍を与えるのは有効かと思われます」 

(・日・)「彼らだけで作られる軍隊は彼らの悲願です」 

(・日・)「これによる不満の解消もまた、かなり大きいものと予想されます」 

(●●●●●)「う~ん…………分かった、せやな」 

(●●●●●)「原住民の武装化、了承するわ」
501:2015/04/01(水)21:40:17 3ME
(●●●●●)「おう、民主主義運動家」 

( ・`ω・´)「はい、なんでしょう?」 

(●●●●●)「今すぐ”ジャワ人による軍の設置”を請願するんや」 

(●●●●●)「そうすればワイらがそれを受け入れ、」 

(●●●●●)「東インドには初めての、原住民による軍隊ができるんやで」 

( ・`ω・´)「………。」
502:2015/04/01(水)21:41:29 3ME

( ・`ω・´)「ぼくらにも”軍”にはトラウマがある」 

( ・`ω・´)「かつてのオランダ時代」 

( ・`ω・´)「原住民だけで構成された”植民地軍”」 

( ・`ω・´)「彼らはぼくたちの民主主義運動の弾圧に利用されたんだ…」 


( ・`ω・´)「…正直、東インドに軍はまだ早いかもしれない」 

( ・`ω・´)「けれど、戦う力がなければ、日本にも、オランダにも」 

( ・`ω・´)「絶対に勝つことはできない…」
691:2015/04/11(土)23:00:17 Nvh
>>502 
ここさらっと凄い話しとるな 
ここについても語って欲しい
710:2015/04/16(木)22:57:26 s7Q
>>691 
残念ながら、手持ちの資料では情報不足のため、詳細を語ることはできません。 
ただ、以下の点は判明しています。 


・”オランダ植民地軍(KNIL)のインドネシア人兵士” 
1940年、日本の脅威に備えるため、ジャワ島ではインドネシア人の兵士が募集されました。 

1942年3月、実際に日本軍はジャワ島へ侵攻しますが、オランダは僅か9日で降伏。 
インドネシア人兵士たちは戦闘に参加する機会もなく、そのまま故郷へ戻ったそうです。 


・スハルト 
旧植民地軍出身。 
植民地軍での実績を買われ”ペタ”小団長に任命。その後、中団長に昇進。 
後のインドネシア第二代大統領です。
503:2015/04/01(水)21:42:39 3ME

( ・`ω・´)「…はい、分かりました」 

(●●●●●)「そか、それじゃ決まりやな」 

(●●●●●)「”ジャワ郷土防衛義勇軍”…通称”ペタ”の誕生や」 



( ・`ω・´)「”ペタ”の設立が決まったよ」 

( ・`ω・´)「まずは”ペタ”の幹部候補生を公募するよ」 

( ・`ω・´)「希望者は応募してね」 

初のジャワ人だけの軍隊。 
応募者は○到しました。
504:2015/04/01(水)21:43:51 3ME
彡(゚)(゚)「ほ~ん、”ペタ”設立か……よっしゃ!」 


彡(゚)(゚)「これまで訓練を続けてきた原住民諸君!」 

(´・ω・`)「はい!教官!」 

彡(゚)(゚)「今こそ諸君らが立ち上がるときや!」 

彡(゚)(゚)「ボゴールに幹部養成学校が設けられた!」 

彡(゚)(゚)「諸君らにはそこに所属してもらい、各種訓練を受けてもらう!」 

彡(゚)(゚)「そして卒業後、諸君らはそれぞれの故郷に戻り、軍を率いるんや!」 

彡(゚)(゚)「諸君らがここで身に付けた全てを見せつけてくるんや!」 

彡(゚)(゚)「健闘を祈る!」 

(´・ω・`)「はい!ありがとうございました!」
505:2015/04/01(水)21:45:27 3ME
ペタの中心メンバーとなったのは、”タンゲラン道場”の青年たちでした。 

ペタ設立後、”タンゲラン道場”の青年たちはボゴールの幹部養成学校に所属。 
各種訓練を実施した後、卒業生たちはそれぞれの故郷で500名規模の大団を結成しました。 

1943年末に35大団編成され、 
1944年8月に20大団が追加、 
更に1944年11月に11大団が追加。 

最終的にジャワ島で66大団・約3万6千人規模、バリ島でも3大団が編成されました。 

また、スマトラ島でも島民による軍が設立され”スマトラ・ギユーグン”と名付けられ、 
イスラム系青年層を中心にした武装組織ヒズブラ(回教挺身隊)などもありました。
506:2015/04/01(水)21:46:38 3ME
大団長以下、兵士まで全てがインドネシア人の軍、”ペタ”。 
各団には日本人教官が派遣されます。 


彡(゚)(゚)「ワイがこの団に派遣された教官や」 

彡(゚)(゚)「実権は基本的にワイが握るで」 

彡(゚)(゚)「兵器管理なんかもワイがやるからな」 

彡(゚)(゚)「ま、しっかりやるんやで」 

(´・ω・`)「はい、分かりました」
507:2015/04/01(水)21:47:49 3ME
(´・ω・`)「教官!準備が完了しました!」 

彡(゚)(゚)「お、元気がええな」 

(´・ω・`)「はい!我々は祖国を守る軍です!」 

(´・ω・`)「祖国を守るため命を燃やす所存です!」 

彡(^)(^)「ええ心懸けや!ワイもちょっと気合い入れるで!」 


各大団に派遣された日本人教官の中には当然やる気のない者もいました。 
しかしやる気のある者はジャワ人の意気に共鳴し、真剣に対応するようになったのでした。
510:2015/04/01(水)21:50:20 3ME
(●●●●●)「おう、スカルノ」 

( ・`ω・´)「はい」 

(●●●●●)「”プートラ”は解散や」 

(●●●●●)「そして新たに”ジャワ奉公会”を設立するで」 

(●●●●●)「この会に村落の末端から華僑、日本民間人までの全組織を一元化する」 

(●●●●●)「総裁にはお前、スカルノが就任するんや」 

(●●●●●)「分かったな?」 

( ・`ω・´)「…はい、分かりました」 


この組織は、初めて民族主義者を知事など主要ポストに就任させます。 
オランダ時代、インドネシア人は政治への参加機会を与えられていませんでした。 
インドネシア人はこの組織の中で、国家の実務運営の経験を学んでいくのでした。
511:2015/04/01(水)21:51:29 3ME

( ・`ω・´)「みんな、今日も集まってくれてありがとう」 

( ・`ω・´)「繰り返すけど、日本軍はぼくたちのために植民地帝国と戦っているんだ」 

( ・`ω・´)「みんなで日本軍に協力しよう!」 

( ・`ω・´)「今、日本軍には食料や資源が足りない」 

( ・`ω・´)「みんな、日本軍に協力するためにも食料や資源を提供して欲しい」 

( ・`ω・´)「それと”ロームシャ”も募集中だよ」 

( ・`ω・´)「みんなで日本軍に協力しよう!」
512:2015/04/01(水)21:52:38 3ME

( ・`ω・´)「………はぁ、今日の演説も終わった」 

( ・`ω・´)「…何も知らない民衆に日本軍への支援を頼むのは、本当に心苦しい」 

( ・`ω・´)「…でも、ぼくは決めたんだ」 

( ・`ω・´)「例え、悪魔の手を借りてでも」 

( ・`ω・´)「ぼくたちは、独立するんだ」 


スカルノは”プートラ”や”ジャワ奉公会”で再三、日本軍への協力を呼びかけました。 


( ・`ω・´)「日本軍はぼくを利用しようとしている」 

( ・`ω・´)「だからぼくもそれを利用する」 

( ・`ω・´)「9回表まで堪え忍んでも」 

( ・`ω・´)「最後の攻撃で取り返せれば、それでいい」
513:2015/04/01(水)21:53:55 3ME
スカルノはオランダ時代のほとんどを牢獄内で過ごしていました。 
そのため、彼は有名でしたが、その知名度は極一部の層だけでした。 

そのスカルノが大衆の前に姿を現し、熱弁を奮います。 
そしてその映像は映画になり、東インド各地に渡ります。 

やがて各地でスカルノの存在は知れ渡り、 
遂にスカルノは自他共に認めるインドネシア指導者となったのでした。
514:2015/04/01(水)21:55:05 3ME
1944年2月 

ジャワ島タシクマラヤ県シンガパルナ村 


( `(エ)´)「イスラム塾塾生諸君!」 

( `(エ)´)「イスラム教を冒涜する日本軍政にはもう我慢がならん!」 

( `(エ)´)「ワイと共に反乱を起こすんじゃ!」 

(・回・)「はい!先生!」 


イスラム塾教師が塾生を集め、軍政への反乱を計画しました。 
この塾があった土地はイスラム教育の中心地で、900名の塾生を集めていました。
515:2015/04/01(水)21:56:16 3ME

(・日・)「なにやらこの辺りで反乱の噂があるそうだけど」 

(・日・)「ひとまず潜入して真偽を確かめてみよう…」 


( `(エ)´)「あ、こいつ日本兵だぞ!捕らえろ!」 

(・日・)「ヒエッ…」 


( `(エ)´)「反乱を気取られたか…」 

( `(エ)´)「もう一刻の猶予もない、こうなったら即時抗戦じゃ!」 

『シンガパルナ事件』 
農民大衆が日本軍政に対して蜂起した事件です。
516:2015/04/01(水)21:57:35 3ME
( `(エ)´)「ワイらには竹槍がある!これで日本兵を一人でも多くoすんじゃ!」 

(●●●●●)「無理やろ(ターン」 

( `(エ)´)「」 

農民たちは手製の竹槍で武装しますが、正規軍に対して敵うはずもなく。 
反乱軍は1時間半の戦闘で多数の死亡者を出し、敗退しました。 
なお、日本側にも3人の犠牲者を出しました。 

日本軍は捕らえた扇動者23人を処刑。 
この事件を”狂信者の反乱”とすることで他所への波及を食い止めました。
692:2015/04/11(土)23:11:47 Nvh
>>516 
アジア特有の竹槍信仰 
東南アジアは竹槍に竹網細工の盾だしなぁ
517:2015/04/01(水)21:58:57 3ME
1944年4月 

ジャワ島西部インドラマユ 


(●゚◇゚●)「ぼくらの住むここ”インドラマユ”は穀倉地帯なんだけど…」 

(●゚◇゚●)「最近、どんどん作物の徴収量が増えているんだ…」 

(●゚◇゚●)「遂にはモミまで出せと言い出す始末…」 

(●゚◇゚●)「もう限界だよ…」 


日本の割り当てでは、徴収量は7~10%でした。 
しかし州→県→郡と移行する度に徴収は上乗せされ、 
最下層の農民の聴取量は膨れあがっていました。
518:2015/04/01(水)22:00:24 3ME
(・長・)「おう、徴収の時間やで~」 

(・警・) 

(●゚◇゚●)「…………」 

(石ポイー) 

(・長・)「イテッ!誰や!今石投げたのは!」 

(●゚◇゚●)「…………」 


供出を促した村長と護衛する警官に投げられた石。 
これが始まりとなり、農民の反乱は連鎖していきました。 
農民の憎しみは軍政側のジャワ人に向けられ、日本の起用した村長が○害されました。 

この反乱は1944年8月まで続くことになります。
519:2015/04/01(水)22:01:31 3ME
1944年9月7日 


(●●●●●)「………アカンな」 


日本の戦局悪化は深刻でした。 
それに伴い、徐々に東インドの住民たちの反乱も表面化。 
東インドを統治するためには、住民たちの心を繋ぎ止める必要がありました。
520:2015/04/01(水)22:02:52 3ME
(●●●●●)「………」 

(●●●●●)「………せやな、ここまでや」 

(●●●●●)「………」 

(●●●●●)「大日本帝国は、」 

(●●●●●)「東インド民族の永遠の福祉を確保するため、」 

(●●●●●)「将来、その独立を認めることを」 

(●●●●●)「…ここに、宣言する」 


『小磯声明』。 
遂に日本が東インドの独立を認めた声明。 

日本はそれまで極秘裏に東インドを永久確保地に指定していました。 
それを覆してまで小磯内閣により発せられたこの声明。 


いよいよ、独立が始まります。
543:2015/04/07(火)20:22:42 esF
   ⊂⊃                                        ⊂⊃ 
            ⊂⊃ 
                       ./!''^゙'┐ 
                      ,/.'l.  .゙'┐     ⊂⊃ 
                 ,、....,/⌒′ ′  .\r 
 -‐'^゙^'''ーv、..._,,、、.._  __   ,/ .ノ′    ,、     .)、               ,,rーv.,,,___,,,,,,,,_ 
      ‐''^′   ̄ ̄^'''''ト      _ノ      'v.,_      _,、、、、、ノ''^^^'″     .⌒ 
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 ─ー¬冖¬ー--、、- v、........,.,、、v--'''^ ̄ -、、- v、... v--'''′ 


                            [ Now loading...] 

Next Time 21:00.                                       Next Stage Jawa Island.
545:2015/04/07(火)21:22:53 esF
インドネシア独立。 



東インドの人々の願望に対し、陸軍と海軍の反応は異なっていました。
546:2015/04/07(火)21:24:14 esF
陸軍は独立に寛容的でした。 
大手を振った協力こそありませんでしたが、彼らの願望を理解し、その実現を計りました。 


海軍は独立に反対しました。 
南太平洋は海軍の戦場。 
彼らは終始、インドネシアの独立に反対しました。
547:2015/04/07(火)21:25:25 esF
さて、そんな海軍の中の一人の人物。 


彡(゚)(゚) 


海軍在駐武官・前田精。 
彼はヨーロッパやアジア各国に勤務した経歴を持っていました。
548:2015/04/07(火)21:26:32 esF
『蘭印作戦』、ジャワ島占領後。 


彡(゚)(゚)「ジャカルタ海軍武官府の責任者になったで~」 


”武官府”とは、海軍の補給などの際、陸軍との調整を行う出先機関です。 
前田は、ジャワ島で陸軍と対等に渡り合う海軍代表となったのでした。
549:2015/04/07(火)21:27:55 esF
彡(゚)(゚)「さて」 


(・日・) 

彡(゚)(゚)「おう、ちょっとええか?」 

(・日・)「はい?」 

彡(゚)(゚)「実はお前さんの考えを聞きたいんや」 

彡(゚)(゚)「お前さんはこの東インドのことをどう思っとるんや?」 

(・日・)「はい、私は日本の統治によって東インド独立が近付くことを願っております」 

彡(゚)(゚)「そか」 


彡(゚)(゚)「実はちょっとええ話があるんやけどな…?」 


前田は東インドに熱い思いを持つ日本人民間人を集め始めます。
550:2015/04/07(火)21:29:06 esF
彡(゚)(゚)「…とまぁ、こんな感じや」 

彡(゚)(゚)「勿論給料と調査費は出すで、口は出さんけどな」 

彡(゚)(゚)「じゃ、後は任せたで~」 

(・日・)「はい、わかりました」 



(・日・)「こんにちは、独立運動に興味はありませんか?」 

(o‘ω‘ n)「え?…えぇ、そうですね、私も独立運動には興味があります」 

(・日・)「実は私は海軍武官府で調査活動をしている者でして」 

(・日・)「民族主義運動家のみなさんと関係を深めたいと思っています」 


前田は集めた日本人を調査活動に従事させ、 
やがて彼らを通じて民主主義運動家とパイプを持つようになります。
551:2015/04/07(火)21:30:35 esF
彡(゚)(゚)「ほら、ワイって海外渡航歴長いやん?」 

彡(゚)(゚)「オランダにいた頃やったかなー?インドネシアの民族運動のことを知ってな」 

彡(゚)(゚)「ワイもちょっと思うところがあったんよ」 

彡(゚)(゚)「何とか力になれへんかなーってな」 

彡(゚)(゚)「ま、幾らワイの立場が特殊やからってな、直接手助けすることは叶わん」 

彡(゚)(゚)「せやからな、まぁこういう形で協力したることにしたんや」 


前田はインドネシア民族運動に理解と同情を持っていました。 
そこで資金を提供して後援することで彼らの活動を支援しました。 

”海軍武官府”は規模の割に絶大な権限を持ち、しかもジャワ島統治に一切の責任がないという特殊な立場です。 
時に前田はこの地位を活かし、陸軍に睨まれた民主主義運動家を庇うこともあったそうです。 

治外法権とも聖域とも呼べる”海軍武官府”。 
やがて彼らの下に民主主義運動家が集まり、民族主義運動は活発化していきました。
552:2015/04/07(火)21:32:03 esF
1944年9月7日『小磯声明』 


彡(゚)(゚)「遂に東インドも独立に向けて動くんやな、ええことや」 


(o‘ω‘ n)「すみません、いいですか?」 

彡(゚)(゚)「お、なんや?」 

(o‘ω‘ n)「ちょっと独立後のことを考えていたんですけど…」 

(o‘ω‘ n)「ぼくたちにはまだ、インドネシア独立後を支える人材が揃っていません」 

(o‘ω‘ n)「そこで、それらの人材を育成するため”独立養成塾”を開きたいのですが…」 

彡(゚)(゚)「せやな、ええと思うで」
553:2015/04/07(火)21:33:15 esF
(o‘ω‘ n)「では塾の代表は提案者である私が」 

( ・`ω・´)「ぼくは政治史を担当します」 

(^)'・▲・`(^)「私は経済学を」 

(´・ω・`)「ぼくはアジア史と社会主義の講義を担当するよ」 


彡(゚)(゚)「資金援助はワイがやったるわ」 

彡(゚)(゚)「そんじゃ、あとはお前らで好きにやるんやで」 

(o‘ω‘ n)「ありがとうございます、助かります」 


”小磯声明”を受け、前田は独自に”独立養成塾”を設置しました。 
これらは全て前田の独断とされ、陸軍のジャワ島統治に逆らうつもりもなかったようです。 

代表にはジャワ島西部貴族出身の弁護士・スバルジョが就任。 
教育の全てがインドネシア人に委ねられ、様々な議論が交わされました。
554:2015/04/07(火)21:34:28 esF
(●●●●●)「確かに”独立させる”とは言った」 

(●●●●●)「せやけど、東インドの独立は日本人が導いてこそ果たされるもんや」 

(●●●●●)「原住民自身による独立活動は認められんよ」
555:2015/04/07(火)21:35:43 esF


( ・`ω・´)「お願いします、どうにか”インドネシア独立準備委員会”を設置してもらえないでしょうか…?」 

( ・`ω・´)「どのような形で独立を目指すにしても、委員会は必要だと思うんです…」 

(●●●●●)「せやけどワイらにも都合があるからな~」 

( ・`ω・´)「そうですか…」 


( ・`ω・´)「………。」
556:2015/04/07(火)21:36:54 esF
1945年2月14日 


(●●●●●)「はー、奴らもしつこいなー、あんな急かしよって」 

(●●●●●)「大体”独立させる”とは言ったけど、時期までは明確にしとらんやん?」 

(●●●●●)「できればこのままの状態が続くとええんやけどなー」
557:2015/04/07(火)21:38:06 esF
(・日・)「大変です、反乱が起きました!」 

(●●●●●)「なんや、またかいな」 

(●●●●●)「こう反乱が続くと気が滅入るわな」 

(●●●●●)「あんまり反乱が広がるようなら、また何か考えなアカンし」 

(●●●●●)「まぁ農民が幾ら竹槍で武装しようが問題ではないけどな」 

(・日・)「そ、それが…」 

(・日・)「”軍”による反乱です!」 

(●●●●●)「ファッ!?」 


1945年2月14日、クディリ州ブリタルにて。 
スプリアディ小団長率いる小隊100名ほどが兵営を出て、刑務所を襲撃。 
政治犯を釈放した後、日本人ホテルや農園事務所などを襲撃し、日本人4名と中国人数名を○傷しました。 

『ブリタルの反乱』と呼ばれた、郷土防衛義勇軍”ペタ”による初めての反乱です。 


( ・`ω・´) 
ちなみに、クディリ州ブリタルはスカルノの故郷です。
558:2015/04/07(火)21:39:31 esF
(・日・)「反乱は準備不足だったようで、速やかに鎮圧されました」 

(・日・)「首謀者のスプリアディ小団長は行方不明ですが…」 

(●●●●●)「………」 



(●●●●●)「……”ペタ”はワイらが原住民を鍛え上げて作った軍や」 

(●●●●●)「そんでもって奴らは今や5万人規模に達しとる」 

(●●●●●)「ジャワ島の日本兵を上回る数や」 

(●●●●●)「…それが全部、制御不能の危機に陥っとる…?」 

(●●●●●)「………………アカン」
559:2015/04/07(火)21:40:41 esF
(●●●●●)「もう本土への補給線が絶たれて随分経つ…」 

(●●●●●)「劣勢は火を見るより明らかや…」 

(●●●●●)「しかも”軍”の反乱にも怯えなきゃならん…」 

(●●●●●)「こんな状態で原住民の意向を無視し続けるのは、もう限界や…」 


(●●●●●)「………しゃーない」
560:2015/04/07(火)21:41:53 esF
1945年3月 


( ・`ω・´)「お呼びですか?」 

(●●●●●)「…”独立準備調査会”を設置するで」 

(●●●●●)「独立の準備のために、色々な問題を調査、討議、議案採択する機関が必要や」 

(●●●●●)「まずはそこで色々調整するんやで」 

( ・`ω・´)「分かりました」
561:2015/04/07(火)21:43:07 esF


1945年4月29日 


( ・`ω・´)「”独立準備調査会”が正式に設立されたよ」 

( ・`ω・´)「委員会のメンバーは70名、各地の代表がインドネシア全域から集結したんだ」 

( ・`ω・´)「ぼくらが中心となって、独立後の憲法を審議するよ」 

( ・`ω・´)「それと遂に、旗”メラ・プティ”、歌”インドネシア・ラヤ”の使用が正式に許可されたよ!」 

( ・`ω・´)「独立の象徴である旗と歌、これらを自由に掲げ、歌うことができる」 

( ・`ω・´)「遂にインドネシアの独立が見えてきたよ!」
562:2015/04/07(火)21:44:29 esF
・豆知識『インドネシア』その3 

独立前の”インドネシア”の定義はあいまいでした。 
例えば、”マレー半島のインドネシア人”と呼んだり、フィリピンのことを”北インドネシア”と呼んだりもしたそうです。 

国としての”インドネシア”が成立するまで、その定義は不明瞭のまま、情勢だけが変化していきました。 

占領中の日本軍は”インドネシア”という言葉の使用を控えるようになります。 
”蘭印”という地域名を使用したため、日本で”インドネシア”が定着するのはインドネシア独立以後になってからでした。 

ちなみに日本人への”ジャoプ”に相当する、インドネシア人への蔑称は”ネシア”だそうです。注意しましょう。
563:2015/04/07(火)21:45:39 esF


1945年6月1日 

第1回独立準備調査会 


( ・`ω・´)「インドネシア国家の骨格、建国5原則”パンチャシラ”を定義するよ」 

( ・`ω・´)「1.インドネシアの統一」 

( ・`ω・´)「2.公正で文化的な人道主義」 

( ・`ω・´)「3.英知に導かれた民主主義」 

( ・`ω・´)「4.全インドネシア国民に対する社会的公正」 

( ・`ω・´)「5.唯一神への信仰」
564:2015/04/07(火)21:47:03 esF

( ・`ω・´)「ちなみに、インドネシアではイスラム教が主流なんだ」 

( ・`ω・´)「だけどキリスト教徒やヒンドゥー教徒も少数存在しているんだよ」 

( ・`ω・´)「国家が公認する宗教は全部で6つ」 

( ・`ω・´)「”イスラム教”、”キリスト教・プロテスタント”、”キリスト教・カトリック”」 

( ・`ω・´)「”ヒンドゥー教”、”仏教”、”儒教”」 

( ・`ω・´)「無神論は違法だよ」 

( ・`ω・´)「公言すると逮捕されるかもしれないんだ、注意してね」
565:2015/04/07(火)21:48:27 esF


(´・ω・`)「ねぇ、スカルノさん」 

( ・`ω・´)「なにかな?」 

(´・ω・`)「ぼくらは未だ”経済的自立”を果たしていないよね」 

(´・ω・`)「それなのに”政治的独立”だけを求めてる」 

(´・ω・`)「ぼくらはまず”経済的自立”を果たした上で、改めて”政治的独立”を目指すべきじゃないかな?」 

( ・`ω・´)「確かにそうかもしれない」 

( ・`ω・´)「でもね、例えるならこういうことだよ」 

( ・`ω・´)「鍋や釜がなくても結婚はできる」 

( ・`ω・´)「でも結婚は時期を選べない」 

( ・`ω・´)「なら、結婚してから鍋や釜を揃えればいいんじゃないかな」
566:2015/04/07(火)21:50:05 esF


(*^◯^*)「ねぇ、スカルノさん」 

( ・`ω・´)「なにかな?」 

(*^◯^*)「どうして日本軍なんかにすり寄るんだ?」 

(*^◯^*)「独立はぼくらの力だけで果たされるべきなんだ!」 

( ・`ω・´)「そんな無茶を言われても…」 

( ・`ω・´)「それにもう独立は目の前なんだよ」 

( ・`ω・´)「やっとここまで来たんだ、今更形なんて気にする必要はないんだよ」 

(*^◯^*)「………」 

スカルノなどの民主主義運動家は、日本軍の戦争への協力の見返りとして独立を迫り続けていました。 
その願望は叶い、東インド全体が一丸となったインドネシア独立が現実のものとなってきました。 
スカルノはイスラム教問題、ジャワ島以外の島々の問題を調整することで、独立への障害を解決していきました。 


しかし、若者たちのグループはより性急な独立を求め、反日的な言動を行うようになってきます。 
やがて各地で反日的な”青年グループ”が次々と形成されていきました。
567:2015/04/07(火)21:51:16 esF


( ・`ω・´)「とは言え、彼らも東インドの住民には違いない」 

( ・`ω・´)「彼らにも”独立準備調査会”に参加してもらいたいな」 



( ・`ω・´)「ねぇ、君は青年グループの代表だよね」 

( ・`ω・´)「なんとか協力してもらえないかな?」 

(*^◯^*)「………分かったんだ」
568:2015/04/07(火)21:52:29 esF


( ・`ω・´)「それでは今日の会議を始めます」 

(^)'・▲・`(^) (o‘ω‘ n) (´・ω・`) (・日・) (≦・ω・≧) 

(*^◯^*)「待つんだ!」 

(*^◯^*)「なんで日本人がここにいるんだ!?」 

(*^◯^*)「この会議はインドネシア人だけで行われるべきものなんだ!!」 

(・日・)「そんなこと言われても…」 

( ・`ω・´)「彼はこの会議に直接的には関与しませんよ」 

( ・`ω・´)「では改めて始めます」
569:2015/04/07(火)21:53:49 esF


( ・`ω・´)「それで独立後の政治体制についてですが…」 

(・日・)「ああ、そこはこうしたらいいんじゃないかな?」 

( ・`ω・´)「ふむ、なるほど…」 

(*^◯^*)「ちょっと待つんだ!」 

(*^◯^*)「今、口を出したな?」 

(*^◯^*)「これは日本による内政干渉なんだ!!」 

(*^◯^*)「こんなことは許されないんだ!」 

(・日・)「えー…」 

(*^◯^*)「こんな会議やってられないんだ!」 

(*^◯^*)「ぼくはここで失礼するんだ!」 

( ・`ω・´)「あー、行っちゃった…」
570:2015/04/07(火)21:55:00 esF


(*^◯^*)「全く、民主主義運動家のジジイどもは使えない奴らばかりなんだ!」 

(*^◯^*)「独立とは戦って奪い取るものなんだ!」 

(*^◯^*)「つまり、独立とは革命なんだ!」 

(*^◯^*)「あんな平和ボケした老害の言うことなんか聞いてられないんだ!」 


( ・`ω・´)「私たちはまだ(40)代なんですけどね…」
571:2015/04/07(火)21:56:11 esF


1945年6月22日 


( ・`ω・´)「憲法の前文用に”ジャカルタ憲章”を作成したよ」 

( ・`ω・´)「”独立は全ての民族の権利である”」 

( ・`ω・´)「”インドネシアの独立闘争は、栄光とやすらぎの時にに達した”」 

( ・`ω・´)「”全智全能の神の慈悲の下、インドネシア民族はここに独立を宣言する”」 

( ・`ω・´)「”ジャカルタ、皇紀2605年6月22日 スカルノ、ハッタ、スバルジョ、他”」
572:2015/04/07(火)21:57:24 esF
1945年7月10日 

第2回独立準備調査会 


( ・`ω・´)「今日からは国家の領域、形態、政治機構、市民権、イスラム教徒の関係などを討議するよ」 

( ・`ω・´)「16日には憲法の草案を作成するんだ」
573:2015/04/07(火)21:58:38 esF
1945年7月17日 

最高戦争指導会議 


(●●●●●●●)「できるだけ早い時期に、インドネシアの独立を認めることを決定する」 



1945年7月21日 

(●●●●●●●)「独立地域の範囲について」 

(●●●●●●●)「マレー半島(ビルマやタイなど)を除いた地域を指定する」
574:2015/04/07(火)21:59:50 esF



1945年8月7日 

( ・`ω・´)「”独立準備委員会”を設立します」 

( ・`ω・´)「主席は私、スカルノです」 

( ・`ω・´)「いよいよ独立が近付いてきました」 

( ・`ω・´)「ハハハ…なんだかワクワクしてきましたよ」 

( ・`ω・´)「まずは第1回会議です」 

( ・`ω・´)「日時は8月18日。忘れず出席するように」
575:2015/04/07(火)22:01:47 esF
1945年8月15日 



彡(゚)(゚)「」 



その日、日本は降伏しました。大東亜戦争が終結したのです。 

日本の軍政は約3年半。 

これは奇しくもトウモロコシが育つ期間と同じでした。 



 【第3章 太平洋戦争編  完】
576:2015/04/07(火)22:03:05 esF
・豆知識『ジョヨボヨ王の予言』 

12世紀、クディリ王国のジョヨボヨ王が残した予言。 
神格化された”ディポヌゴロ王子”が名乗った”ラトゥ・アディル”も、この予言に記されています。 

日本と関係があるとされるのは>>1の文章。 
”北方からやってきた白い衣を纏う黄色い人”が日本人ではないかとインドネシアでは囁かれます。 
また、この部分は”天からやってきた白い衣を纏う黄色い猿(小人)”ともなることがあり、 
これが日本の落下傘部隊を指すのではないか?とささやかれました。 

また、「鉄の火を吐く翼をまとった黄色い人が白い人の乗る鉄の船を追い払うだろう」という一文もあったようで、 
これは日本軍が航空機でオランダ艦船を焼き払ったことを指すのでは?とされています。 

日本と予言の関係が囁かれ始めたのは日露戦争以後。 
”ジョヨボヨ王の予言”の予言は今でも信じられているそうです。
586:2015/04/08(水)21:30:45 Yas
【終章】
587:2015/04/08(水)21:31:20 Yas
【After Episode 今村均】
588:2015/04/08(水)21:31:34 4yt
おっ、ついに終わってしまうのか…
589:2015/04/08(水)21:32:24 Yas
1942年11月20日 


今村はニューブリテン島ラバウルにて、第8方面軍司令官として着任します。
591:2015/04/08(水)21:34:23 Yas
彡(゚)(゚)「田畑を大量に増設するんやで~」 

彡(゚)(゚)「食料は大事やからな、腹が減っては戦はできぬという奴や」 

彡(゚)(゚)「さーて、ワイも畑を耕すで~」 

(・海・)「戦い始まる前から何やっとんのじゃ、あいつは…」 


今村はガダルカナル島の戦訓から、米海軍による補給路の封鎖を想定。 
島内に大量の田畑を増設することで自給自足体制を整えます。 
今村自身も率先して畑を耕したそうです。 

なお、早々に自給自足を提唱した今村に対し、海軍は冷淡な反応を見せました。
592:2015/04/08(水)21:35:33 Yas
(☆●●●●)「ラバウル航空隊は厄介やな…」 

(☆●●●●)「西進用の補給路を確保するなら、まずはここを落とさなアカン」 

(☆●●●●)「早速空襲するやで~」
593:2015/04/08(水)21:36:55 Yas
彡(゚)(゚)「やっぱり米軍の爆撃は強烈やわ…」 

彡(゚)(゚)「上陸作戦にも備えにゃならん」 

彡(゚)(゚)「せやから空襲に耐えられるほどの地下大要塞を建設するで」 


今村は米軍の空爆と上陸作戦に備えるため、強固な地下要塞を構築しました。 
幅1.5m、高さ2.1mの洞窟。全てを合わせると370kmもの長さになる洞窟郡です。 
洞窟内には病院、兵器工場なども造られました。 

米軍による猛爆撃は連日続きますが、地下要塞内の被害はほとんどありませんでした。
594:2015/04/08(水)21:38:29 Yas
(☆●●●●)「アカン、現有戦力で攻略できる気せーへん」 

(☆●●●●)「上陸作戦には多大な犠牲が出るし…」 

(☆●●●●)「しゃーない、まずは周辺諸島を攻略するわ」 


米軍はラバウル占領を断念。 
ラバウルへの空爆は続けたものの、周辺諸島の攻略を優先し、周辺の航空戦力を無力化していきました。 

やがて周辺諸島は全て攻略され、ラバウルは孤立化しました。
595:2015/04/08(水)21:39:44 Yas
(・海・)「アカン、周辺の海域が全て米軍に奪われてもた…」 

(・海・)「もう籠城するしかないじゃん…」 

(・海・)「今村、ワイらにも畑耕せちくり~」 

彡(^)(^)「ええで、一緒に最後まで籠城しよか」
596:2015/04/08(水)21:41:13 Yas
ラバウル守備隊は完全に孤立化しましたが、現地の自給自足体制は既に完成し、物資の備蓄も十分でした。 

最終的に今村大将率いる陸軍第8方面軍、草鹿中将率いる海軍南東方面艦隊は、 
共に終戦までラバウルを確保し続けたのでした。 


なお、同じような状況下にあったニューギニア戦線では、 
いたずらに出撃を繰り返すことで連合軍に掃討され、人命を散らし続けたそうです。 


籠城による持久戦を続けたラバウルでは、終戦まで7万人の兵力が温存されたそうです。
597:2015/04/08(水)21:42:15 Yas
終戦後
598:2015/04/08(水)21:43:16 Yas
彡(゚)(゚)「…諸君、どうか部下の若人たちが失望、落胆しないよう導いてやってくれや」 

彡(゚)(゚)「7万の将兵が汗水垂らしてこの地下要塞を建設し、」 

彡(゚)(゚)「原始密林を開拓して7000haの自活農園まで作ったんや」 

彡(゚)(゚)「この経験、この自信は終始忘れるんやないで」 

彡(゚)(゚)「祖国の復興、各自の発展に、しっかり活用するんやで…」
599:2015/04/08(水)21:44:34 Yas
(・日・)「………。」 

彡(゚)(゚)「なんや、折角の畑がほったらかしやないか」 

彡(゚)(゚)「…せやな、将兵諸君」 

彡(゚)(゚)「ワイらは今後も自活を続けて」 

彡(゚)(゚)「将来日本が賠償すべき金額を少しでも軽減することをはかる」 

彡(゚)(゚)「これがワイらの外地での最後の奉公やで」 

彡(゚)(゚)「さ、畑を耕すでー」 


今更自活もなにもあるまい、という気持ちがあった部下たちでしたが、 
黙々と畑に立つ今村の姿を見て、誰も何も言うことはできませんでした。
600:2015/04/08(水)21:46:19 Yas
彡(゚)(゚)「ラバウル部隊の引き上げは3年半後か…」 

彡(゚)(゚)「えらい時間が余ってもたなぁ」 

彡(゚)(゚)「…よし、勉強でも教えるわ」 

彡(゚)(゚)「兵士のほとんどは小卒やし」 

彡(゚)(゚)「帰国したら絶対必要になるしな」 

彡(゚)(゚)「ひとまず中学校程度の知識は必要やな」 

彡(゚)(゚)「ワイらが生きるのには目標が必要なんや」 


今村は軍の中の教職経験者を集めて教師とし、教科書も作成させました。 

当時、将兵たちは捕虜であり、無報酬で作業させられていたのですが、 
そんな不満も忘れ、彼らは作業の合間に教科書や雑誌を読みふけったのでした。
601:2015/04/08(水)21:47:34 Yas
しかし12月。戦争指導者・戦犯が収容され始めます。 


”軍事裁判”が始まりました。
602:2015/04/08(水)21:48:46 Yas
オーストラリア軍イーサー少将は戦犯調査の上、 
「ラバウルでは戦争犯罪を問うべきものは何もない」とオーストラリア本国に報告します。 

ラバウルにはパラシュートで脱出したパイロットなど少数の白人捕虜がいましたが、 
彼らはラバウルの小島に収容され、国際法規に従った取り扱いを受けていたのでした。 


しかし、オーストラリア本国の考えは違いました。
603:2015/04/08(水)21:50:05 Yas
(・日・)「インド人の多くが熱帯潰瘍かマラリアにかかっていました」 

(・日・)「貴重な予防薬を、苦いとか胃に悪いとか言って捨てる者がいたのです」 

(・日・)「私はそういう者を平手で打ちました」 

(・日・)「言葉が通じませんでしたので…」 

(・日・)「憎しみの気持ちではなく、早く治してやりたかったのです…」 

彡(;)(;)「そうか…そうか…」 


『医師として、インド人労働者の患者を虐待した』とされた酒井伍長。 


彼は今村にこのように語り、死刑となりました。
604:2015/04/08(水)21:51:53 Yas
ラバウルの戦犯裁判は、ほとんどがこのような”労働者への虐待容疑”です。 

賃金で雇われた労働者たちは2年以上も日本軍で働いていました。 
日本軍に協力したことで罰せられるのを恐れた彼らは「捕虜にされて無理矢理連れて来られた」と言い張りました。 

告発した労働者たちは告発状だけを残して帰国。 
弁護側は反対尋問する機会も与えられません。 


そして今村は、そのように裁かれる部下を一人でも救うべく、自ら志願して収容所に飛び込んでいったのでした。
605:2015/04/08(水)21:53:30 Yas
オーストラリア軍事裁判 


彡(゚)(゚)「外人労働者は日本軍が賃金で雇ったものやで、戦争捕虜ではないんやで」 

彡(゚)(゚)「仮に万が一虐待があっても、それは戦争犯罪じゃないから、日本の法律で裁くべきなんやで」 

彡(゚)(゚)「それでもなお、戦争犯罪として裁くなら」 

彡(゚)(゚)「その責任は全て、最高指揮官である自分にあるんやで」 

彡(゚)(゚)「部下に責任は全く無いんやで」 


最高指揮官である今村の裁判は後回しにされたため、それまでの間、今村は率先して部下の弁護に赴きました。 
今村の弁護により刑が軽減されたり、無罪になった部下も多かったそうです。
606:2015/04/08(水)21:54:49 Yas
(・日・)「『参謀長通達』を出しました」 

(・日・)「だから全て、参謀長である私の責任です」 

彡(゚)(゚)「参謀長に命令権はない!」 

彡(゚)(゚)「書記と同じようなもんや!」 

彡(゚)(゚)「だから全部ワイの責任や!」 

(・日・)「そんなの極論じゃないですか!?」 

彡(゚)(゚)「なんやと!?」 


今村の側近、参謀長・加藤中将。 
彼の裁判では、普段仲の良い二人がお互い譲らず、大喧嘩をしました。 


結局、今村の強引な主張が通り、加藤中将は無罪放免となりました。
607:2015/04/08(水)21:56:02 Yas
彡(゚)(゚)「戦犯裁判は戦闘であり、作戦なんや」 

彡(゚)(゚)「絶対に勝たなアカンのや」
608:2015/04/08(水)21:57:18 Yas
(・裁・)「それでは被告・今村均の裁判を始めます」 

(・裁・)「被告にはラバウル・第8方面軍司令官としての責任が問われています」 

(・検・)「検事側は死刑を求刑します」 


オーストラリア軍は、戦時中の汚名をそそぐためにも、何としてでも今村を死刑にしようとしていました。
609:2015/04/08(水)21:58:36 Yas
しかし。 


(●゚◇゚●)「そんな!死刑は重すぎます!」 

(●゚◇゚●)「今村さんは何も悪くありません!」 

(●゚◇゚●)「今村さんは優れた人格者でした!」 

(・裁・)「……ではひとまず禁錮10年で」 


オーストラリア軍は、戦時中の今村の軍政や軍事指揮の中に、今村を死刑にする口実を見出せませんでした。 
現地住民などの証言も今村を擁護をしたため、無理矢理罪状を被せ、何とか懲役刑にしたといいます。 


彡(゚)(゚)「そか」 

彡(゚)(゚)「それはともかく、部下の判決の再審を請願するで」
610:2015/04/08(水)21:59:57 Yas
やがてオーストラリア軍事裁判は終わり、 

続いて東インドでの今村の罪状が問われることになりました。
611:2015/04/08(水)22:01:13 LcG
今村さあああああああああああん
612:2015/04/08(水)22:01:14 Yas
オランダ軍事裁判 


(・裁・)「それでは被告・今村均の裁判を始めます」 

(・裁・)「被告には東インド・第16軍司令官としての責任が問われています」 

(・検・)「検事側は死刑を求刑します」 


今村はオランダ側の検事によって死刑が求刑されました。
613:2015/04/08(水)22:02:23 Yas
ジャカルタ刑務所 


彡(゚)(゚) 

ジャワ島での裁判が始まり、今村はジャカルタの刑務所に収容されていました。
614:2015/04/08(水)22:03:36 Yas
(≦・ω・≧)「今村さん、今村さん」 

彡(゚)(゚)「お、飯か」 

(≦・ω・≧)「日本時代の最高の指揮官が来たことを、私たちはとても喜んでます」 

(≦・ω・≧)「今夜7時になれば、きっとあなたにもそれが伝わると思います」 

彡(゚)(゚)「?」
615:2015/04/08(水)22:04:56 Yas
(≦・ω・≧)「…もうすぐ7時になります」 

(コーン) 

~♪~♪ 

彡(゚)(゚)「この歌は……”八重潮”か…?」 


今村が統治していた時代。 
今村が公募し、日本人とインドネシア人、双方から集められた歌詞によって制作された、 
日本人とインドネシア人が双方の国語で一緒に歌う、両民族融和の歌がありました。 
”八重潮”。 
この歌はジャワ島の町から村へと広がり、日本の将兵と原住民が同席すれば、必ず歌われたといいます。 

ジャカルタの街は、地の底から沸き立つ大合唱に包まれました。
616:2015/04/08(水)22:05:28 Yas
やがて今村はジャカルタの別の刑務所に移されます。
617:2015/04/08(水)22:06:29 Yas
(≦・ω・≧)「今村さん、今村さん」 

彡(゚)(゚)「お、なんや?」 

(≦・ω・≧)「私はスカルノ氏の密使です」 

(≦・ω・≧)「今日は今村さんの救出計画を伝えに来ました」 

(≦・ω・≧)「もしあなたの死刑が確定したら、共和国政府は死刑場に行くあなたを奪回します」 

(≦・ω・≧)「今こそ大恩に報いるときなのです」 


今村の東インド統治時代、今村はオランダによって投獄されていたスカルノを解放しています。 
それ以来、今村とスカルノは親交を続けていたのでした。
618:2015/04/08(水)22:07:47 Yas
しかし。 

彡(゚)(゚)「お心は嬉しいが…」 

彡(゚)(゚)「ワイはこのままここで裁判を受けるつもりや」 

彡(゚)(゚)「ワイには罪がある、せやからここにいて責任を取らなアカンのや」 

彡(゚)(゚)「何よりお前らを危険な目に遭わせたくないんや」 

彡(゚)(゚)「すまんな」
619:2015/04/08(水)22:08:58 Yas
(≦・ω・≧)「そうですか…わかりました」 

(≦・ω・≧)「では、もう少しここでお話しをさせて下さい」 

(≦・ω・≧)「私たちがいる限り、あなたを有罪になんてさせませんから」 


ジャカルタの刑務所での投獄中、今村はインドネシア人の看守に励まされ続けたそうです。
620:2015/04/08(水)22:10:10 Yas


彡(゚)(゚) 

(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) 
 (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) 
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) 


(・裁・)「…オランダが告発した罪状は、全て根拠のないものである」 

(・裁・)「以上より、東インド・第16軍司令官時代の今村の判決は」 

(・裁・)「全て無罪とします」
621:2015/04/08(水)22:10:38 LcG
今村さんかっこよすぎやろ……
622:2015/04/08(水)22:11:18 Yas
インドネシアでの判決は無罪だったものの、オーストラリアでの判決”禁錮10年”は生きています。 

1949年。今村は巣鴨拘置所に送られました。
625:2015/04/08(水)22:12:55 Yas
しかし。 

彡(゚)(゚)「なぁ、ワイをマヌス島の刑務所に移してくれんか?」 

彡(゚)(゚)「元部下たちは未だに環境の悪い南方で服役しとる」 

彡(゚)(゚)「ワイだけが東京にいることはできないんや」 

彡(゚)(゚)「なぁ、頼むわ」 

(・看・)「だめです」 


今村は、多数の日本軍将兵が収容されるマヌス島刑務所への入所を希望します。 
そこは”最悪の収容所”とも恐れられる場所でした。
626:2015/04/08(水)22:14:04 Yas
彡(゚)(゚)「…頼んだで」 

(・妻・)「分かりました」 


(・妻・)「お願いします、どうか夫の頼みを聞き入れてもらえないでしょうか…?」 

(☆●●●●)「…そうか」 

そして今村は妻の伝手を通じてマッカーサーに直訴したといわれています。
627:2015/04/08(水)22:15:04 Yas
(☆●●●●)「今村将軍のマヌス島行きを許可する」 

(☆●●●●)「…私は日本に来て初めて、真の武士道に触れたよ」
628:2015/04/08(水)22:16:12 Yas
マヌス島での獄中生活は、今村の人柄もあり、とても和やかなものだったそうです。 

3年後。マヌス島の刑務所は閉鎖され、全員が日本に送還。 
今村は残りの刑期を巣鴨の刑務所で過ごしました。 


そして10年後...
629:2015/04/08(水)22:17:22 Yas
彡(゚)(゚)「…ワイの刑期は終わった」 

彡(゚)(゚)「せやけど、ワイの罪が消えることは一生ないんや」 

彡(゚)(゚)「自宅の隅に独居房と同じ広さの謹慎小屋を建てたで」 

彡(゚)(゚)「今日からここに住むんや」 

彡(゚)(゚)「これからは軍人恩給だけで質素に生活する」 

彡(゚)(゚)「出版した『回顧録』の印税は、全て戦死した部下の遺族、処刑された部下の遺族のために使用する」 

彡(゚)(゚)「元部下たちには出来る限りの援助をするで」 

彡(゚)(゚)「それが、ワイが死地に赴かせた部下たちへの、せめてもの贖罪なんや…」
630:2015/04/08(水)22:18:42 Yas
今村の行動に付け込み、元部下だと偽って金を無心する者もいました。 
しかしそれに対しても今村は、それを承知の上で拒むことはなかったそうです。 


なお、今村は『戦陣訓』の”原文”を書いた人物です。 
「生きて虜囚の辱めを受けず」の一文で有名なこの文書。 
『戦陣訓』の”完成版”にこの一文が載っていたことを今村は憤慨し、終生それを悔いていたそうです。
631:2015/04/08(水)22:20:09 Yas
1968年10月4日死去。享年82歳。 

最終階級・陸軍大将。 
温厚で高潔な人柄。 

占領地での軍政・指導能力は高く、原住民や敵国連合国側からも讃えられる、 
太平洋戦争中の日本で数少ない、本物の名将です。 


       【After Episode 今村均  完】
635:2015/04/08(水)22:23:00 51S
今村さんに興味が湧いて本を買ったワイ、満足顔
638:2015/04/08(水)22:30:05 WJK
こういう人が居るのが何で知られてないねんホンマ
641:2015/04/09(木)22:03:11 6Xh

 " " ヾ ; " ; " ; ; ヾ 
"ゞ ; ; ; ゞ ; ;ヾ ; ; ヾ ;ゞ     ⊂⊃ 
ヾ ; ;";;/" ; ;ヾ ;ヾ "" 
; "i "; ;ヾ; ;ヾ; ;メヾ         ゙        ⊂⊃ 
ii;, メソ ヾ; ;ゞ "   ゙ 
|i;, |ソ   ""                       ゙ 
Il;: | 
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从 ゝ,, 
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Next Time 22:30.              Next Stage Bali Island.
644:2015/04/09(木)22:29:12 6Xh
【Side Episode 三浦襄】
645:2015/04/09(木)22:30:12 6Xh
彡(゚)(゚) 


”三浦襄”という人物の話をします。 
彼は軍人ではなく、商人でした。
646:2015/04/09(木)22:31:23 6Xh
1909年 

彡(^)(^)「”南洋商会”に興味持ったから入会したで~」 

彡(^)(^)「高校中退してジャワ島に渡航するで!」 


半年後… 

彡(゚)(゚)「やっぱ”南洋商会”脱退するわ」 

彡(^)(^)「しばらくその辺の諸島を放浪するで~」
647:2015/04/09(木)22:32:39 6Xh
1912年 

彡(^)(^)「セレベス島で雑貨のお店を開くで~」 


1916年 

彡(^)(^)「結婚もしたし、相棒と”日印貿易商会”も開業したで~」 

彡(^)(^)「南洋各所で色んな貿易するで~」 

彡(^)(^)「順風満帆ですわ」 


1925年 

彡(゚)(゚)「相棒が強盗に○られてもた…”日印貿易商会”も解散やな…」
648:2015/04/09(木)22:33:50 6Xh
彡(^)(^)「気を取り直して別の相棒とコーヒー園の経営を始めるで~」 

彡(^)(^)「再婚もしたし今度こそいけるわ!」 

ちなみに前妻の死因は過労死だったそうです。 



1930年 

彡(゚)(゚)「やっぱコーヒー園も駄目だわ」 

彡(゚)(゚)「どないしよ」 


…など、中々に波瀾万丈な人生を送っていました。
649:2015/04/09(木)22:35:02 6Xh



彡(゚)(゚)「さて、次はどないしよかな…」 

彡(^)(^)「よし!今度はバリ島で商売するで」 

彡(^)(^)「自転車の修理業をするやで~」 

彡(^)(^)「店の名前は”TOKO MIURA”や!」
650:2015/04/09(木)22:36:21 6Xh
バリ島 


彡(゚)(゚)「……日本人はあんまおらんな、ワイら含めると3家族しかおらんみたいや」 

彡(゚)(゚)「まぁええわ、原住民を雇ってバリ島各地に支店も開業するで」 

彡(^)(^)「店のことは店員に任せて、ワイはバリ島各地を駆け回るで~」 


「南方に行ったら住民の利益のみを考えよ」。三浦は教師だった父の言葉を実践します。 
やがて三浦は住民から人望を獲得し、”トコ・スペダ・トワン・ジャパング”(自転車屋の日本の旦那)と慕われるようになりました。 

三浦は熱心なクリスチャンでしたが、バリ島民の大半はヒンドゥー教です。 
それにも関わらず島民から受け入れられたのは、彼の敬虔な信仰から来る誠実さがあったからではないでしょうか。
653:2015/04/09(木)22:39:44 6Xh
東インド占領後… 


(●゚◇゚●)「ねぇ、白髪のおじさん」 

(●゚◇゚●)「ちょっと困ったことになってるんだけど…」 

彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイが協力したるわ」 


日本軍政時代に起きた多くの問題。 
それらのほとんどは習慣の相違、言葉の不自由によるものでした。 
現地に詳しかった三浦はそれらを仲介し、多くの島民が助けられました。 


三浦の風貌は古武士を思わせるものだったそうです。 
島民による愛称は”白髪のおじさん”。 
地元民には最大の敬語”トアン・ブサール”で呼びかけられることもあったそうです。
654:2015/04/09(木)22:40:53 6Xh
(・日・)「軍の要請により、缶詰加工工場が必要になった」 

(・日・)「やってくれるかな?」 

彡(゚)(゚)「はい、分かりました」 


彡(゚)(゚)「三浦商会で缶詰加工工場を新設するで~」 

彡(゚)(゚)「業務運営、経理など全てバリ人に委ねるで~」 

彡(゚)(゚)「勿論賃金は全部お前らのもんやで~」 


三浦は貧しいバリ人を集めて雇い、それによって得た代金は全て、原住民に支払われたそうです。
655:2015/04/09(木)22:42:04 6Xh
(●゚◇゚●) 

彡(゚)(゚)「なんや、お前、孤児かいな?」 

彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイが引き取ったるわ」 

 (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) 


三浦は孤児を十人以上も引き取っていました。 
三浦の収入と言えど、子どもを10人以上も育てるのは、流石に容易ではなかったはずです。
657:2015/04/09(木)22:43:15 6Xh
(・日・)「三浦くん、君は随分と島民に気に入られてるようだね」 

(・日・)「君が協力してくれるなら、ここの統治は上手く行きそうだ」 

(・日・)「君が推薦したプジャをここの知事に立てるよ」 

彡(゚)(゚)「ありがとうございます!」 


バリ島の軍政にあたった堀内豊秋。彼は三浦に全幅の信頼をおいていました。 
住民の統治に関することは全て三浦に委ねられ、バリ島の治安は他所で見られないほどの平穏を保ち続けました。 

ちなみに、プジャは後にインドネシア独立準備委員会のバリ代表となりました。
658:2015/04/09(木)22:44:29 6Xh
1944年5月 

彡(゚)(゚)「病気療養で日本に戻るで」 


1944年9月 

彡(゚)(゚)「”小磯声明”か…遂にインドネシアも独立なんやなぁ」 


1944年12月 

彡(゚)(゚)「やっぱりバリ島に戻らないと(使命感)」 

彡(゚)(゚)「ワイは彼らと約束したんや」 

彡(゚)(゚)「死が行く手に待ち構えていても」 

彡(゚)(゚)「使命だけは、断じて果たさねばならないんや」
659:2015/04/09(木)22:45:40 6Xh
彡(゚)(゚)「日本の占領はインドネシア独立のための唯一の手段なんや」 

彡(゚)(゚)「せやから軍政は厳しいけどなんとか耐えてくれや」 

彡(゚)(゚)「独立はもうすぐなんや!」 

(●゚◇゚●)「わかったよ、白髪のおじさん」
660:2015/04/09(木)22:46:49 6Xh
彡(゚)(゚)「今日も軍人が原住民たちをぞんざいに扱ってたわ…」 

彡(゚)(゚)「軍の慰安所に連れて行かれそうになった女性も居ったで」 

彡(゚)(゚)「勿論ワイが助けたったけどな」 

彡(゚)(゚)「あいつらホンマどうなっとんねん…」 

彡(゚)(゚)「怒りが収まらんから日記にでも書いとこ」 


彡(゚)(゚)「でもこれも、インドネシアが独立するまでの辛抱や」 

彡(^)(^)「それまではワイら日本人が導いてあげんとな」 


三浦は心の底から”インドネシアの独立”を信じていました。 
だからこそ、彼らのためを思い、島民を説得し続けていたのでした。
661:2015/04/09(木)22:48:05 6Xh
1945年7月 


U・ω・U「シガラジャで”小スンダ建国同志会”を結成するよ」 

U・ω・U「バリ島でもインドネシア独立に向けて活動を開始するんだ」 

U・ω・U「代表はぼく、プジャだよ」 

U・ω・U「基本的にバリ人だけの会なんだけど…」 

U・ω・U「三浦さんには特別に、この同志会に入ってもらうんだよ」 

U・ω・U「事務総長に就任してもらうんだ」
662:2015/04/09(木)22:49:18 6Xh
1945年8月14日 

彡(゚)(゚)「同志会に参加するためシガラジャに向かうで~」 

彡(゚)(゚)「ワイが経営しとる畜産会・商会はバリ人従業員に任せてきたわ」 

彡(^)(^)「それじゃ行くか、楽しみやな~」
663:2015/04/09(木)22:50:20 6Xh
1945年8月15日 

敗戦
664:2015/04/09(木)22:51:21 6Xh
(●●●●●)「日本は負けた」 

(●●●●●)「日本が進めてきたインドネシア独立は全て無効」 

(●●●●●)「インドネシア独立は、なくなったんや」 

(●●●●●)「すまんな」 



彡()()「…ぁ……」 

彡()()「……ぁぁ゛…………ぁぁ゛ぁ゛…」 

彡()()「ぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁああぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!!!!」
665:2015/04/09(木)22:52:31 6Xh
彡()()「………………」 

(●゚◇゚●)「……元気だして?白髪のおじさん」 

彡()()「……ワ、ワイが今までしてきたことは…」 

彡()()「………………一体、なんやったんや……」
666:2015/04/09(木)22:53:40 6Xh
彡(;)(;)「すまんかった、本当にすまんかった…」 

彡(;)(;)「独立できなくて、ホンマすまんかった………」 

(●゚◇゚●)「白髪のおじさん、顔をあげて?」 

(●゚◇゚●)「これは仕方のないことだったんだよ」 

彡(;)(;)「いいや!そんなことあらへん!」 

彡(;)(;)「独立はできた!できたはずなんや……」 


彡(;)(;)「…………」 

彡(;)(;)「…………」 

彡(゚)(゚)「…………」
667:2015/04/09(木)22:54:51 6Xh
彡(゚)(゚)「…………」 

彡(゚)(゚)「…”日本人は戦いに負けたら自決する”と、お前らには教えた」 

彡(゚)(゚)「しかし天皇陛下の命により、日本人は誰も自決することができない」 

彡(゚)(゚)「それやとワイら日本人は嘘を吐いたことになる」 

彡(゚)(゚)「せやから………」 


彡(^)(^)「………ワイが日本人を代表して、自決するわ」
668:2015/04/09(木)22:56:11 0AT
三浦さああああんやめろおおおお
669:2015/04/09(木)22:56:17 6Xh
1945年9月6日 

彡(^)(^)「…ホンマにお前らにはすまん事としたな」 

彡(^)(^)「独立させてやれんで、ホンマすまんかったな」 

(●゚◇゚●)「…ねぇ、白髪のおじさん、本当に考え直してくれない?」 

(●゚◇゚●)「おじさんには本当にお世話になったんだよ」 

(●゚◇゚●)「バリ島がこんなに平和だったのは、おじさんのお陰なんだよ?」 

彡(^)(^)「…そうか、ありがとな」 

彡(^)(^)「せやけどな、もう連合軍がそこまで迫っとる」 

彡(^)(^)「捕まったらそこで最期や、もうバリ島には戻って来られん」 

彡(^)(^)「インドネシアの独立をこの目で見られん」 

彡(^)(^)「ワイはな、魂だけでもこの地に残って」 

彡(^)(^)「インドネシアの独立を、見守りたいんや…」 

(●゚◇゚●)「おじさん…」 

彡(^)(^)「さぁ、最後の晩餐や、盛大に食そうや…」
670:2015/04/09(木)22:57:27 6Xh
1945年9月7日 


『小磯声明』の一年後。 
日本が約束した、”インドネシア独立が実現するはずだった日”。 


その日の早朝。 
三浦襄は拳銃で自決しました。
671:2015/04/09(木)22:58:41 0AT
oh……
672:2015/04/09(木)22:58:48 6Xh


彡(^)(^)「この戦争で、我が祖国日本の勝利を念ずるためとはいえ」 

彡(^)(^)「私の愛するバリ島の皆様に、心ならずも真実を歪めて伝え」 

彡(^)(^)「日本の国策を押し付け、無理な協力をさせたことをお詫びします。」 


彡(^)(^)「今まで威張り散らしていた日本人も」 

彡(^)(^)「明日からは捕虜として、皆様の前で惨めな姿を見せるでしょう。」 

彡(^)(^)「彼らが自決せずに屈従するのは」 

彡(^)(^)「新しい日本、祖国再建に力を尽くそうと思っているからです。」 


彡(^)(^)「なので、自決するのは私一人で良いと思います。」 

彡(^)(^)「私が、日本人皆の責任を負って、自決します。」
673:2015/04/09(木)22:59:49 6Xh
その後… 


(・豪・)「そうか、そんなことが…」 

(・豪・)「三浦襄の葬儀を許可する」 

(・豪・)「弔ってやりなさい」 


進駐してきたオーストラリア・オランダ軍は、三浦の葬儀を許可します。 

三浦の葬儀は日本式で行われました。 
葬儀には8人の王、16人の僧正なども訪れ、参列したバリ人は1万人もいたそうです。
674:2015/04/09(木)23:00:49 6Xh
その後も彼の墓所には花が絶えません。 
日本人が訪れて慰霊祭を行うと、今なお大勢のバリ人が集まるそうです。 


「三浦襄はバリ人のために生き、インドネシア独立のために死んだ」 
墓碑に刻まれた言葉と共に、彼は今でも、バリ島で静かに眠っています。 



        【Side Episode 三浦襄 完】
678:2015/04/09(木)23:51:03 aNX
一般人でもこんなえらい人居ったんやな 
ワイにはこんな自己犠牲できる自信ないわ 

今日の分もおもろかったで 
サンキューイッチ 
イッチのペースで完結しちくり~
679:2015/04/10(金)00:41:53 Avy
あの水木センセイもラバウルで今村さんに会って 
「今まで見てきた中で一番優しそうな人」と言っているな。
【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
引用元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1426336637/
【完結編へ続く】